肉体を喪失した音楽

ZARDこと坂井泉水が死んだ。
私は全く興味がなかったが、おじさんたちにもファンが多かったようだ。
彼女の音楽は、端的に言って肉体のない音楽である。
当初は、レースクイーンやグラビアアイドルなど、肉体をさらしていたようだが、余り売れなかった。
彼女が大ヒットしたのは、姿、肉体を隠してからだ。
そんなものにどのような意味があるのか、私には理解できない。
メディアの中にしか存在しない音楽など、絶対に無意味である。
なぜなら、歴史的、世界的に見てエンターテイメントの本質は演者の肉体なのだから。
私が、相撲が好きなのもそこにある。
冥福を祈ると言ったところで、現場に存在しないものに祈りようがないじゃないの。

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コメント

  1. 坂井泉水さん追悼情報サイト

    坂井泉水さん追悼情報サイト

  2. ものぐさ太郎 より:

    ZARDについて。
    このプログのファンが増えているようで喜ばしい限り。ZARDに関心を持ったのは、今年、20歳の息子が小学生か中学生のとき、「好きなんだ」と告白したから。CDを聞いて吃驚。「こんな下手糞見たことない」とくさしたら、親子戦争が勃発。懐かしい。

    でも、息子は死去のニュースを知って「親父の言うとおり」と認め、「売れたのは、売り出し戦略の勝利なんだろうなあ」と述懐して、少しは大人になった模様。だが、ZARD、御本人は「肉体を見せない」売り出し戦略に相当ストレスを溜めていたのではと推察。時折、見る写真は、いつも生理不順の女性に見えた。歌声はまんま民青だったしね。私は自殺したのだと思います。