『栄光への脱出』

1947年、キプロス島からパレスチナを目指す船から始まる。ナチスのホロコーストを逃れてきたユダヤ人は、かつての祖国の地パレスチナに自分たちの国を作ろうとしていた。

現在に至るパレスチナ問題だが、その元凶はイギリスの、アラブ人への「マクマホン・フセイン書簡」、ユダヤ人への「バルフォア宣言」、そしてフランスとの「サイクス・ピコ協定」の「3枚舌外交」にあるというのが、高橋和夫先生の説で、その通りだと思う。

1930年代から、シオニストはパレスチナへの帰還運動を行っていたが、欧州のユダヤ人の移民はあまり進まなかった。理由は、ユダヤ人は、金融業、医者、弁護士等で、これは都市ではないと成立しない仕事なので、人口が少なかったパレスチナでは事業を起すのは無理だったからだ。そこで、パレスチナに移民したユダヤ人は、農業を集団農場で始める。有名なキブツである。

キブツは、将来の社会の在り方の一つとして考えられていて、1960年代は、日本でも多くの若者が行った。横浜市で市政記者をやっていた毎日新聞の柏木純一記者も、大学時代に留学で行っていたと言っていた。キブツは、ソ連や中国の集団農場と同様な試みだが、現在では成功とは言えないようだ。

第一次大戦後、パレスチナはイギリス領となっていたが、第二次大戦後は独立することになっていて、ドイツ等で迫害を受けたユダヤ人が移民を目指すことになっていた。

船には、ユダヤの秘密組織の男ポール・ニューマンがいて、アメリカ人の看護婦のエバー・マリー・セントと知り合う。また、収容所にいた若者サル・ミネオらもいる。そして、キプロス島でイギリスの出航許可が出て、航海してパレスチナの港ハイファに上陸する。

ユダヤ人組織にもいろいろあり、ポール・ニューマンが所属するのは穏健な組織だが、中にはイギリスからの急速な独立を求める過激な連中もいて、彼の叔父は過激派で、皆がトラブルでイギリスの刑務所に皆収監され、処刑の日も近づく。

1947年秋、国連はパレスチナ分割案を可決し、ユダヤ人は「祖国ができるのだ」と歓喜する。

そして彼らは蜂起し、ポール・ニューマンもゲリラの指導者として若者を率いる。

だが、同時にそれはアラブ人との対立の始まりで、彼が生まれ育った村に行くと、友人だった村長が殺されてダビデの星を書かれている。ユダヤへの裏切り者とアラブ人から処刑されたのである。

彼とユダヤ側の死者を墓に埋葬するシーンでのポール・ニューマンの平和への祈りの言葉でエンド。

ここでは現在に至るパレスチナ問題の始まりが描かれていて、原作の小説はユダヤ人で、監督のオットー・プレミンジャーもユダヤ人だが、比較的中立的だと言えるだろう。彼は、黒人ミュージカルを監督し、女優のドロシー・ダンドリッチと同棲するなど、ハリウッドでは異端で、反体制的だった。

アーネスト・ゴールドのテーマ曲もヒットし、パット・ブーンやアンディ・ウィリアムスの曲も大ヒットした。こういう例を見ると、アメリカの映画、音楽業界におけるユダヤ人の力の大きさを感じる。

WOWOWシネフィル

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