『白夫人の妖恋』がワイヤーアクションの源流の一つとは知らなかった

先週の映画学会の例会で一番面白かったのは、東北大の鮷知硯さんの『香港新派武侠映画における日本映画の影響』だった。

主に香港映画におけるワイヤーアクションの使用のことで、戦前の作品からあったそうだが、日本映画のカラー、ワイド、特殊撮影等の進んだ技術が導入されたのは1950年代末からだそうだ。その中に、1956年の豊田四郎監督の『白夫人の妖恋』があったとは驚く。

これは豊田監督の作品では評価の低いもので、豊田自身も中国の説話とどう繋がるか非常に悩んだらしい。

その結果彼がつかんだ結論は、主人公の池部良は、貧しい生活から抜け出せるなら、たとえ蛇の化身だとしても山口淑子を愛することになったのだと正当化したようだ。

そして山口淑子は、池部良と結ばれた後に、彼が蛇だと気づき山口を裏切ると、彼女は大洪水を起し、地上のすべてを流してしまうのである。

この洪水は、もちろん円谷英二特撮だが、その直前に池部と山口は共に繋がれて天井に上がっていく。

これをワイヤーアクションで撮影したのだが、池部の回想では非常に苦しくて大変な撮影だったとのこと。だが、池部は敬愛する豊田四郎監督の指示に従ったのだそうだ。

この映画では、俳優のほとんどは亡くなられているが、唯一ご存命なのは、山口の召使の八千草薫のは凄い。

因みに豊田は、妻子はいたが、有名なバイ・セクシュアルで、一番のお気に入りが池部良で、次は音楽の芥川也寸志だったそうだ。豊田の戦後の映画の音楽のほとんどは、芥川也寸志であるのは、大変な二枚目だった芥川を豊田監督がお好きだったからだ。

スタッフ、キャストは気の合う仲間であるのが最上なのだから当然のことである。

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