『焼肉ドラゴン』

郵便を出す用があったので、桜木町駅に行き、横浜ブルグ13に寄るとやっているので見る。

私が見たのは再演だが、新国立劇場での最高傑作の一つだろう。

私の知り合いには、「新国立劇場のあり方は問題だ」として絶対に見ないという人もいるが、鄭義信のこれや『パーマ屋スミレ』を作り出したことだけでも、意義はあったと思う。次の小川江梨子芸術監督には疑問があるが。

話は、1970年頃、大阪伊丹空港近くの在日朝鮮人の不法占拠の部落の群像、中心は金がやっている焼肉屋ドラゴンの三姉妹。

「ああ、チェーホフの『三人姉妹』の在日版か」と思ったのはラスト・シーンを見た時だった。新国立劇場での再演の時、私は次のように書いた。

勿論、新国立劇場での作品のすべてを見ているわけではないが、とかく批判の多い新国立劇場でも最もすぐれたものの一つで、新国立らしい意義のある芝居と言えるだろう。初演の2008年のときは、在日の一家の話と聞き、民青的な偽善があるのでは、と敬遠して見なかった。
だが、ここには山田洋次作品にもしばしばある共産党的偽善などまったく存在しなかった。話は、大阪伊丹空港に隣接した国有地に不法占拠していた在日韓国朝鮮人の一家、焼肉屋ドラゴンをやっている。済州島から来た父親金竜吉と母高英順は、高の連れ子の長女静花と次女梨花、金の連れ子の三女美花がいて再婚し、二人の間に長男時生が生まれた6人家族である。
ここですごいのは、3人の娘たちがすべて性的に不道徳であることである。次女と一度結婚した、李哲夫は、本当は長女の静花が好きで、次女が韓国から来た若い男と出来たのを機に、次女と別れて長女と一緒になってしまう。歌手に憧れている三女は、クラブで知り合ったマネージャーには妻がいて騙されていたことに気づき涙に暮れるが、最後は結局そのいいかげん男と結婚出来る。その他、出てくる男女が皆いいかげんで、自分勝手で、不道徳で、品がなく、男は仕事もせずに昼間から酒を飲み、女は共同水道で無駄なおしゃべりに時間を過ごすと言う生活を送っている。男の仕事は、すべて肉体労働、女はヘップ・サンダル工場で、すべてその日暮らしの毎日。楽しみは、ドラゴンに来て、肉を焼き、酒を飲み、歌を歌うことくらい。全体は、吉本新喜劇的なギャグの連続で展開される。劇が始まってすぐに母親役の高秀喜が、その巨体で舞台に出てきたときから、私たちは既成の道徳や秩序とは正反対の世界に無理やり引きずり込まれてしまう。それは、この劇のナレーターで、1幕の最後で自殺してしまう長男で、エリート私立高校に行っている国生に言わせれば「僕は大嫌いな町でした」となる。戦時中の飛行場整備工事、さらに戦後の米軍の拡張工事で、周辺に集まった韓国朝鮮人は、その国有地を不法占拠し自由な暮らしをしていた。だが、時代は1960年代の末、大阪万博の狂騒が進行し、時代は管理社会となり、ついには国有財産管理を代行する市役所によって撤去させられることになる。主人金竜吉がこの土地は「醤油屋の佐藤さんから金を出して買った」と言っても通るはずもない。一家は皆ばらばらに別れて行き、長女は哲夫の言うままに、哲夫自身も半信半疑だが、「地上の楽園」と宣伝している北朝鮮に渡航事業で行くことになる。娘たちがいなくなり、残された金夫婦だけになったとき、死んだ長男国生が、トタン屋根の上に姿を現し、幕開きの台詞を繰り返す
「僕はこの町が大嫌いでした、大嫌いでした・・・・でも、本当は好きでした」

滂沱と涙が流れた。
金竜吉役の申哲振、妻の高秀喜ら韓国の俳優が素晴らしい。
日本人の役者も本当に役になりきっていた。ここには、宮本亜門の愚劇『金閣寺』には存在しなかった、役者の役作りがあった。
こういう芝居を見ることは幸福である。
新国立劇場

静花・真木よう子、梨花・井上真央、愛花・桜庭みなみの三姉妹で、映画が劇と違うのは、新国立のが一杯のセットだったのに対し、当然映画では部落外にも出る。

語り手の長男・時生が通う私立中学、愛花が働くキャバレー、静花が小学生の時、大泉洋と一緒に夜に空港の中に入り、遊んだ時に足を折ってしまうのだが、その空港など。

不法占拠は、どこでもあるもので、私も港湾局の時、担当したことがある。それは神奈川区恵美須町で、昭和初期に横浜市が埋立をした。その際、埋立許可の国からの条件で橋と付属地は国有地にされていた。

戦後だと思うが、その国有地に飲食店(ラーメン屋)を建てた女がいて、1970年代くらいまでは営業していたらしい。恵美須町には、工場への貨物線が多数あり、戦後その付属地には、東南アジアの鉄道の脇に立つスラム街のような住居が並んで建っていたそうだ。

1980年代はそれはなく、この飲食店跡が現存する数少ない家屋だったが、勿論誰も住んでいなかった。だが、驚くのは木造の家屋が登記されていたことで、女性から息子らしき人に相続されていた。現在では、建物の登記は地主の了解がなければできないが、1950年代はできたようだ。結局、私が係長ときには解決しなかったが、「役所の力で取り壊し、もし苦情が出れば金で解決するしかないだろう」というのが我々の考えだったが。

このドラマでは、国(運輸省)と伊丹市の役人が来て、立ち退き交渉をして、最後は金一家も立ち退き、姉妹はそれぞれ旅立っていく。

鄭監督は、大学を出た後、横浜にあった映画放送大学を経て、松竹撮影所で働き、黒テントに入り、新宿梁山泊に参加し、脚本家として『月はどっちに出ている』等で認められた後、この新国立劇場での秀作の発表になった。

そう考えると、今村昌平が作った映画学校、そうして新国立劇場は意義があったことになるだろう。

さて、この地域だが、問題の森友学園のあるところの近くであることは知られていることだろう。

横浜ブルグ13

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コメント

  1. 大乗的見地から削除はしませんが、もう少し気の利いた、面白いことが書けないものでしょうかね。