内田吐夢と黒澤明

黒澤明、特に東宝時代の黒澤の画面は独自だと思う。そのコントラストの強い映像は、東宝でも他の監督作品には見られないものである。技術的には、撮影・照明法と現像のテクニックなのだそうだが、あのコントラストの強い画面は重々しくて独自だと思う。

そして、それは松竹の軽い作風にはなく、あえて言えば日活の内田吐夢に一番似ていると思う。

内容的にも、黒澤は本質はアクション映画だが、重いテーマ主義は、内田らの日活の作風に類似しており、松竹の城戸四郎に言わせれば、「また百姓映画か」である。

松竹は、江戸っ子の落語的な粋を最上とするものなのだ。

内田吐夢の作風から黒澤は、一番奥を学んだと思うが、アクションという意味では、伊藤大輔からも多くを得ているとも言える。特に、伊藤の片腕というべき、カメラの唐沢弘光は日活から東宝に来て、多くの作品を担当しており、ここから得たものも大きかったと思う。

いずれにしても、無から有は生まれないものであり、天才黒澤明も、内田吐夢や伊藤大輔らから得たものは大きかったのではないかと私は思う。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. YROOM より:

    黒澤明と日活多摩川の男性映画の共通点については、戦前からの映画評論家、津村秀夫が以前から指摘していました。深作欣二も「わが青春に悔いなし」に日活多摩川の影響を指摘しています。私も内田吐夢の「宮本武蔵・一乗寺の決闘」を始めて見た時には「七人の侍」に似ているなと思いました。しかし黒澤と日活多摩川の接点はどこなのかなとずっと思っていました。去年、改めて熊谷久虎監督が東宝で撮った「阿部一族」を見て、彼からではないかなと思うようになりました。出処は不明ですが、熊谷監督が黒澤明が「阿部一族」の撮影を見に来ていたとか、黒澤は自分の真似をしていると言っていたという話が伝わっています。

  2. 熊谷久虎の言うことなど信じてはいけません。藤本真澄によれば、義理の妹・原節子をものにしてしまったらしいとんでもない男なのですから。

    当然ですが、黒澤が日活多摩川の作品を見ていたということだと思います。
    映像的には、日活から東宝に来たカメラマンの唐沢弘光がつないだものがあったと思います。

  3. 弓子 より:

    「飢餓海峡」の左幸子の役は
    かなしくて、せつなかったです。

    高倉健の演技では
    この映画の役のが一番すきです。

    横浜大好き
    長く続いていた横浜高島屋の提供のラジオ番組で 
      横浜は、港に続く散歩道
    と女性ナレーションの声をバックに流れていた曲が
    大人になって知ったのですが
     マンドリンセレナーデ というタイトルだったのですね。