東京ドームに行く夫妻のようだった

昨日は、暑さの中、池上の実家に行く。母の命日が来週なので、子供たちの都合の良い日にとのことで、集まったのである。埼玉に住む次女は、都合が悪いとのことで来なかったが、他の4人が集まり、食事して昔話。どうしても病気のことが多くなるのは仕方ない。

その前に、バスで横浜駅に行き、京浜東北線に乗ると、隣の席は私より少し若い夫妻で、会話を聞くと、水道橋に行き、東京ドームの都市対抗戦を見る予定らしかった。

どこか分からなかったが、九州のチームらしく、応援はいつものことのようで、客席の場所はどこが良いかなどと話していた。

一番良いのは1階の上の方だが、係員に順に下に降ろされるので、上に荷物を置いて席を確保しておくなどと言っていて、「ああなるほど」と思う。なければ、ブラスバンドの後ろでも良いが、うるさいのは閉口するとのこと。

都市対抗戦も、戦前から伝統があり、昔はノン・プロ野球は、プロ野球に次ぐ人気があり、巨人に入った高林のように、大学を出てノン・プロの熊谷組で活躍してプロに入った選手も多かった。大洋のエースだった平松も日本石油で活躍したのち、プロに入ったように、多くの選手は高校、大学からノン・プロのチームを経由してからプロ野球に入団したものだった。関大の速球投手だった山口高史もドラフトで指名されたが、「自信がない」とのことで松下電器に入った後、好成績を上げて阪急に入団した。

このように、ノン・プロはレベルが高かったので、都市対抗戦も人気があったのか、1回戦くらいからテレビで放映されていたが、いつの間にか決勝戦くらいしか放送されないようになった。

都市対抗は、戦前は本当に都市対抗で、オール大連などというチームが優勝したこともあった。戦後は、企業対抗になってしまうが、その優勝チームの変遷を見ると、日本の経済の流れをよく反映している。

戦後すぐには、大分の星野組という建設会社が優勝したように、建設ブーム、鐘紡や藤倉電線のように、その頃の繊維、インフラ産業の好景気を反映していた。熊井組も常勝チームだったが、20世紀末には倒産寸前になってしまった。

1960年代は、丸善石油、日本石油などになり、日本鋼管、神戸製鋼、八幡製鉄、富士製鉄の製鉄業など、重化学工業の大企業の時代になる。

21世紀になってからは、NTT,JR東日本、さらにシダックスのような会社が活躍しており、情報化等を反映しているように見える。

都市対抗というと、「応援合戦」というが、私はこれが嫌いである。応援の上手い下手で勝ち負けが決まるなんてことはないからである。

応援の力がチーム力に加味されていると言えば、広島カープと阪神タイガースくらいだろうと思う。

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