私が一番下だった 早稲田大学劇団演劇研究会OB会

港区の最低劇場である俳優座で、劇団俳小の特別プロジェクト公演『女人嵯峨』が上演された後、隣で劇研OB会が行われたので出る。

20人ほどだったが、上は80代で、女性も結構いたが、なんと70歳の私が一番年下だった。

初対面同士も多いので、自己紹介したが、やはり演劇関係が多く、俳優は劇団俳小代表の斎藤真さんと前進座の志村智雄さん。他にも、照明会社、舞台装置会社、テレビ局、新聞社、出版社、映画会社等が多く、役所は私だけだった。

中では、松竹大船で助監督をやっていた横堀幸司さんと、宴の後半はほとんど話すことになった。

「木下恵介のことを話すと止まらない」と言われる横堀さんだが、大島渚、篠田正浩らのヌベルバーク連中とは非常に仲が良く、また私の贔屓の渋谷実は、彼も気に入っていて、『モンローのような女』には助監督で付いたとのことだった。横堀さんは、木下組だったのだが、なぜか『モンローのような女』の時には渋谷組についたとのこと。

木下と渋谷は犬猿の仲で、その原因についても教えてもらったが、ここでは書かない。

また、松竹大船助監督試験の順番についてもお聞きしたが、それも書かない。

今では、黒澤明の名声の影で、木下恵介や渋谷実、さらに今井正などは、若者は知らないし、見ないというと、「まことに嘆かわしい」とのことだった。

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