伝統芸能としてのロック

『映画論叢45』の根本順善の「カツドウヤ人生」には、矢沢永吉の『ラン&ラン』を撮った時のことも書かれている。

ある時、ライブの一部を撮り損ない、もう一度翌日にやってもらうと、矢沢は、その日も前日と寸分違わぬかたちで熱演したそうだ。つまり矢沢は、型で歌う歌手なのである。

歌手にも型で歌う人と、感情で歌う人がいるなと気づいたのは、ミック・ジャガーの『シャイン・ザ・ライト』を見たときだった。彼も、同じ型で歌う歌手なのだ。ブルース・スプリングスティーンなどは感情で歌う人だと思う。日本で言えば、玉城浩二などは、感情、心で歌う歌手なのだと思う。この「型か心か」というのは、日本の演劇の演技論の「型か、心か」によく似ていると思う。

そのように考えると、ロック歌手も日本の伝統的な表現方法に似たところがある。

江戸時代には、歌舞伎の中には、「ちんこ芝居」というのがあり、子供が歌舞伎を演じる芝居で人気だった。明治になると青年歌舞伎になり、ここから出てスタートなった俳優に、片岡千恵蔵がいる。

そう考えると、AKB48以下のグループも、この江戸時代の、ちんこ歌舞伎の再現のようにも思える。

矢沢やサザンの桑田らが人気を得ているのも、こうした型としての音楽の表現と同時に、その内部には「演歌的な心情」が含まれているからだと思う。

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