『ストーカー』

ストーカーと言っても、性的追跡者のことではない、ソ連の監督タルコフスキーの映画だが、ここでは「密猟者」という意味らしい。
昔、今は取り壊された渋谷の東急名画座で見た。
そのときも深い感慨を得たが、やはり重いものを残す作品。
映像がすごいのだが、時々ほとんど映像が動かなくなり、眠気を誘われるシーンもある。このじっと見ていて映像が動かないのは、わが日本が世界に誇る土方巽、大野一雄らに始まる大ゲージュツの舞踏に似ている。

話は、SF的。
あるところに隕石らしきものが落ち、「ゾーン」と呼ばれ、そこは立ち入り禁止となっているが、侵入するものが絶えない。
なぜか、そこに行くと幸福が得られると言うのだ。そこへは、軍隊が行ってもなぜか撃退されてしまう。
当局は、侵入を禁止しているが、隠れて入る者がいる。その案内人が主人公で、教授と作家の3人で行く。
途中の様々なセットがすごい。主に廃墟だが、霧が流れる自然も美しい。
初めと、最後の日常的なシーンはモノクロで、ゾーンに入った場面はカラーになる。
最後、作家は「ゾーン」に入ると、爆弾を持ってきたことを明かす。
「こんなものは、誰にも利益にならないのだから、爆破する」と。
だが、彼も結局爆破はできない。
この意味は、なんだろうか。一種の体制に対する反逆、革命だろう。
旧ソ連の体制下での、明らかに現体制への革命とその実行の不可能性を現わしていると思う。
ラストは、ストーカーの娘が下半身が動かない身体障害児だが、視線で物を動かすことができる超能力を示す。
身体障害者のマイナスが、本当は能力があるという皮肉で複眼的な視点がさすが。
1979年の作品。

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