熱中症になったことがある

今、日本中で話題の熱中症だが、私も1980年代になったことがあるのを思い出した。

それは、結婚して新婚旅行に行った時のこと。1983年11月、横浜で結婚式を挙げ、翌週の月曜日に成田空港からインドネシア・シンガポールの新婚旅行に出かけた。

インドネシアは私の趣味の音楽で、シンガポールは妻がブランド品を買いたいからだった。

成田からマレーシアのクアラルンプールを経てインドネシアの首都ジャカルタのハリム空港に着いた。ツアーは20人くらいで全員が新婚旅行、2人の女性添乗員がいた。

添乗員は、ここで我々を誘導し、国内線に乗ったが、「私たちも初めてですから、多分これでよいよいと思います」と頼りなかったが、ガルーダ航空機は無事バリ島のデンパサール空港に着いた。そして、バリ島のキンタマーニ高原観光などいろいろあったが、ある日、ヌサドアビーチに行った。ここは今は日本のホテルもあるらしいが当時は何もなく、いずれ日系のホテルができるらしいですよと言われていた。

2時間くらい我々はいて泳いだりしていたが、他に誰もいず、現地のインドネシアの人は日陰で何もせずに寝ていた。

その日の夜、ケチャ・ダンス・ショーを見てホテルに帰ると、異常に気持ちが悪くなり、高熱が出てきて歩けなくなった。ホテルの医者を呼んでもらうとオランド人の医者が来て言った、

「熱射病だ!」薬を飲み、指示のように体を冷やして直った。

熱射病、つまり原因は異なるが、結果は熱中症と同様の症状だったのである。

要は暑い日は、インドネシアの人々のように、日中は何もせず寝ているのが良いのである。

私も今はなるべく冷たいところにいて、なにもしないようにしている。

この時、私はカセットを多量に買い、中村とうようさんに貸した。この時の一本が、後に中村とうようさんがスープレーベルでLPとして出した『ガプーラ』である。

シンガポールを経て日本に戻ると、日本シリーズでは広岡西武が、王巨人を4-3で破り日本一になっていたことを知る。

また、二階堂政権構想という不思議な事件が起きたことも知ったのだ。

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