落語とジャズ

落語とジャズは、昔は好きだった。
今は、どちらかと言えば嫌いである。

落語は、ラジオでNHKの専属だった三遊亭金馬の「孝行糖」の名調子から、小えん時代の立川談志の啖呵にしびれた小学生だった。
また、ジャズはラジオ関東の「ミッドナイト・ジャズ」に始まり、1964年のマイルス・ディビスの初来日時には、高校生だったが新宿厚生年金会館で見た。
だが、今はどちらも嫌いになった。
理由は、「どちらも自分たちは、大衆芸能ではない」と言っているからだ。
インテリのスノビズムが嫌いなのだ。

ジャズは、日本では今や第二クラシック化している。
かつて、ジャズは不良の音楽であり、本来ジャズは、黒人の隠語でセックスを意味した。ジャアーズと発音するとその感じが分かるだろう。
ロック、ジャズ、ロックン・ロールもすべてセックスを暗示する隠語だった。
要は、ハクイ、マブイ、と言ったように、女性やセックスを意味することが、カッコいい、という意味に変わり、それが音楽で、カッコ良い演奏法を意味するようになり、ジャンル化したのである。
どちらも、本来上昇志向性が強い芸能だったが、本来、どちらも不良、ヤクザ、ならず者の文化だったのだ。
そんなものは、どこにあるだろうか、今の落語やジャズに。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする