『夜あけ朝あけ』

1957年、劇団民芸の最初の映画で、監督は若杉光夫、俳優は宇野重吉以下、民芸の俳優たちに乙羽信子が混ざっている。

結城市の農家の話、父親は戦死だろう兵隊姿が仏壇の写真として飾られている。乙羽の

母親の下に、中学生からの4人の子供たちと祖母の北林谷栄で米を作って生活している。だが、夏に乙羽が破傷風で倒れ、すぐに死んでしまう。

残された子供たちは、母の遺志を継いで米を収穫し、県で最初に供出をしたとのことで県知事表彰を受ける。この供出は、収穫高25俵に対して16俵とのことで、翌年春には食べるコメがなくなるそうだが、どういう比率なのかは私には分からない。

ともかく凄い田舎で、電気と水道はあるが、テレビ、ラジオはなく、ガスも引かれていない。まるで『華岡青洲の妻』の江戸時代と大差ないように見えるが、今見るとその方がむしろ自然で幸福に見えるのはなんとも皮肉。

あまりの現金収入の少なさに、中学3年だった長男は、中学を卒業すると東京に出ていく。

ある日、長女が探しに上京するが、夜働いているとのことで、会えずに終わる。その上野駅近くらしい住宅街がすごい。貧困な木造住宅街だが、下町は昭和20年の東京大空襲で焼けたはずなので、いったいどこなのだろうか。

最後、「東京で泥棒をやっているのでは・・・」と噂が村で流されるが、夏の映画会のニュースで、長男の働く姿が出て来て大感激。客には鈴木瑞穂らしい男の顔もある。

毎日世界ニュースで、「地下鉄新線工事進む」とのタイトルで、丸の内線のことだろう。

このニュース映画で知合いを発見するというのは、日中戦争中のニュース映画でよくあったことで、「映画ご対面」と言われたそうだが、まだその記憶があったのだろう。

主役の子供4人は、茨城の素人の子供たちのようだが、若杉監督は上手く演出している。

川崎市民ミュージアム

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