『ある子守の詩』

1976年に、監督の大森栄氏が、出身の熊本の「五木の子守唄」をヒントに企画、脚本、監督した劇映画。監督の思いは分からないではないが、ノー・テンポ、ノー・アイデア、ノー・ドラマで、どこにも劇が存在しない。田舎の小学校に農民の伊藤雄之助が来て、「子供を奉公に出すので辞めさせる」という。昭和3年なので、そんなことができたのか不明だが。先生は樫山文枝、女の子は春日浩美。家には、彼女の下に3人の子がいて、「口減らし」である。母は元青年座の今井和子、祖母は原ひさ子、この4人以外は知らない人ばかり。春日は伊藤に連れられて山を下り、大きな屋敷に連れられて行き、子守にされる。どういう家か不明だが、3人子がいて、4人目が生まれたので子守が必要になったのだ。子守をして道を歩くと餓鬼どもが囲んでじゃまをし「かんじん、かんじん」と叫ぶが、貧民のことのよう。春日の食事は凄くて、茶わん杯に青菜のみだが、一応白米なのでごちそうなのだろう。伊藤家では、黄色い飯なので粟なのだろうから。3月25日に、春日は学校に来るが、それは彼女の卒業式だったのだ。学校を山の上から見下ろすという画面は、『砂の器』と思う。

最後、彼女は屋敷を逃げ出して家に戻ると、途中で買った飴玉を妹・弟に、まんじゅうを祖母に上げる。屋敷の親父が追いかけて来て、再度連れ戻されるところでエンドマーク。

藤田正氏の名著『竹田の子守唄』によれば、なぜ被差別部落の子が子守に出たかと言えば、繊維工場などに行けば差別されるので、子守が多かったのだそうで、それで京都市竹田地区でも子守唄ができたのだそうだ。だが、それにはメロディーがなかったので、作曲家尾上和彦さんが、『ロンドデリー』と『赤いサラファン』をもとにして作った。それが関西の音楽界では有名になり、赤い鳥の後藤悦二郎君がレパートリーにし、ヒットしたとのこと。

『五木の子守唄』のバックグランドも多分そうしたものだったはずで、むしろこうしたことをきちんと入れた方が良かったのではと私は思う。

川崎市民ミュージアム

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