『沖縄スパイ戦史』

1945年春、陸軍は予想される米軍の攻勢に備えて軍の精鋭を台湾に移動させる。

台湾戦が決戦場となると勝手に思い込んでが、米軍は台湾を越えて沖縄の南部に押し寄せる。ここでも陸軍の勘違いで、沖縄の北部に飛行場があったので、米軍は北部上陸だろうと考えていたが、米軍にとっては飛行場など大型重機ですぐに出来るので、人口が多く島の中心の南部から一斉に押し寄せて上陸攻撃してくる。

そして、手薄になった沖縄の防衛については、陸軍中野学校の2人の将校が派遣されて、14歳から18歳までの少年を「護卿隊」を組織してスパイ戦をさせる。市川雷蔵主演、増村保造監督の『陸軍中野学校』シリーズは非常に面白かったが、市川雷蔵の現代劇出演に反対する撮影所内部の声で、太平洋戦争が始まる『開戦前夜』で終わってしまう。

だが、本当の中野学校生の活躍はそこから始まっていたのであり、言わば「実録中野学校」である。

そして、6月の日本軍の降伏以後も、少年らで北部のゲリラ戦を展開させる。その証言は、凄惨の一語に尽きる。

2人の将校は、生き残り、戦後も沖縄に来て元少年兵士たちと交流されたそうだ。そして、将校の一人は、沖縄に毎年ソメイヨシノの苗を送り続けたが、亜熱帯の沖縄では一度も根付かなかったとのことで、この辺も中野学校生と沖縄とのすれ違いが実証される。

次は、波照間島で、そこは軍隊を置いていなかったので、軍は住民を隣の西表島に強制移住させる。だが、当時西表島は、マラリアの汚染地域で、免疫のない波照間の住民は次々にマラリアになってしまう。

最後は、軍の地下倉庫の運搬を手伝っために、情報漏洩の恐れでスパイとして殺されせそうになった女性の証言。

いずれにしても、日本軍は、日本の住民を守るのではなく、軍自身を守り、最後は天皇を守るための軍隊だったことが明白になる。

1945年8月8日以降のソ連の満州侵攻では、最初に逃げ出したのが関東軍で、無防備な満州の日本人は置いてけぼりにされたのと同じである。

まことに恐ろしいことであるが、そうした日本軍の体質は、現在の自衛隊では完全に変わり、国民のための軍隊になっているのだろうか。

横浜シネマジャック

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