アントニオーニ死す

このブログの題名にもなっている「さすらい」の監督ミケランジェロ・アントニオーニがなくなった。
スエーデンの監督イングマル・ベルイマンに続き、欧州の名監督がなくなったわけだ。
アントニオーニの作品では、1960年の『情事』やその後の『夜』や『太陽はひとりぼっち』等が名高いが、私は1957年の『さすらい』が一番良いと思っている。
『さすらい』は一口に言えば、日本の成瀬巳喜男のような映画なのだ。
イタリアの北部、石油工場の技師の主人公はなぜか妻と別れ、幼い娘を連れて放浪の旅に出る。
諸所を流離った後、彼は元の町に戻ってくる。
と、そこではアメリカ軍基地の反対運動が起きている。
彼は、反対派にも加われず、妻のところにも戻れず、石油工場の製油塔に登る。
てっぺんに上った彼は、妻に手を振るとそのまま落ちて自殺してしまう。
ここには、戦後の社会にも家庭にも戻れない孤独な中年男の心情がきわめて繊細に描かれて、イタリア社会をよく描いたリアリズムの秀作なのだ。

だが、1960年代に『情事』が評価されると、アントニオーニは「愛の不条理」なる空疎な言葉で語られるようになる。
同時に、裕次郎・浅丘ルリ子の「愛の神話3部作」『銀座の恋の物語』『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』に大きな影響を与えるなど、世界的に影響を与える大監督になるが、本質はどうだったろうか。

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