『祇園の姉妹』だけではなかった

溝口健二の名作『祇園の姉妹』は、「ぎおんのしまい」ではなく、「ぎおんのきょうだい」であり、小津の『宗方姉妹』も、「むねかたきょうだい」であることを知った時は、非常に驚いた。

だが、調べてみると、吉村公三郎の1952年の『西陣の姉妹』も、ポスターの表示を見ると「にしじんのきょうだい」なのである。

川島雄三の1960年の作品に『夜の肌』という結構面白い映画があるが、これも『あかさかのきょうだい より」で、なんと映画の中でチェーフォフの『三人姉妹』が上演されるが、淡島千景は「さんにんきょうだい」と言っている。ここには、大学生として蜷川幸雄が出て来て、大いに笑える。

私は、1967年に日生劇場で行われた俳優座の『三人姉妹』を見ているが、ここでは「さんにんしまい」と言っていたと記憶する。

1960年代中頃まで、姉妹を、きょうだいと呼んでいたことは間違いないと思う。

今から思うと、意外なことだと思うが。

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コメント

  1. bakeneko より:

    吉村公三郎

    インタビューのなかで、
    山本富士子は『ヨシムラ コウザブロウ』
    若尾文子は『ヨシムラ キミサブロウ』

    本人も気にしていなかったと思うのですが、どうなのでしょうか.

  2. 両方とも言っていたように記憶しています。
    本人がどちらでも良いと思っていたのだと思う。
    そういう細かいことに拘るのは、松竹の持つ「粋」からは野暮と思われていたのだと思います。