『時を接ぐ』

民芸の公演を見て、期待は一応満たされた。岸富美子・石井妙子の『満映とわたし』は非常に面白い本で、日本映画史に興味のある者にとっては、知らなかったことが沢山出てくる。

1935年に16歳で京都の第一映画に編集助手として入社した岸富美子(日色ともゑ)の一代記になっていて、戦後、満州映画協会が敗戦で消滅した時の、日本人スタッフの行方は非常に面白いのだが、そこはカット。

戦前は、第一映画がつぶれた後、京都のJ・Oのトンデモ映画『新しき土』で、女性編集者アリスが、監督のファンクと衝突して喧嘩して自己を貫くことに驚き、編集者として自立しようとするところ。ここは、当時映画の編集権は、日本のように監督にあったのか、アメリカのようにプロデューサーにあったのか知りたいところだが、それは不明だった。多分、ドイツは欧州なので監督にあったと思うが。

富美子は、兄がすでに満映のカメラマンになっていたので、満映に行き、編集者となる。社宅の隣家は、大塚有章で、彼は「共産党ギャング事件」で逮捕され刑期を終了して満映に来たのだ。富美子は、兄の同僚のカメラマン岸寛身と1945年夏に結婚し、二人の子を産むことになるが仕事を続ける。

戦後は、日本にすぐ戻ろうとする者と中国に残る者に分かれる。

共産党軍は、国民党との戦いの中で、長春を離れ撤退して奥地に行き、スタジオが持っていた機材も避難させる。奥地の鉱山の生活では、映画どころではなくなり、つらい仕事では、「闘争会」という反省会が行われ、自己批判がされて思想改造運動が日本人同士の中でも行われる。

国民党に勝利した共産党は、建国記念映画『白毛女』を作ることになり、編集は富美子が担当するが、彼女の名は当時はなく、輸入された日本でも知られていなかった。

1953年に富美子らは帰国するが、中国帰りを受け入れる撮影所はなく、木村壮十二らと同様に独立プロで活躍することになるが、それはここでは描かれていない。

鈴木忠治先生によれば、こうした実話劇を見て感動した時、それは芝居に感動しているのか、実話に感動しているとすれば邪道だとなる。

だが、演劇というのはいい加減なジャンルなので、それは許されると思っている。

作・黒川陽子 演出・丹野郁弓  紀伊国屋サザンシアター

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