江波杏子、死去

女優の江波杏子が死んだそうだ。76歳とは若い。

以前、彼女の代表作『女賭場』を見た時、私は次のように書いた。

江波杏子主演の「女賭博師」シリーズの1作である。
これは、小説家の青山光二の本によれば、ある日永田雅一が、夢のお告げで、「年末までに女のヤクザ映画を作れば当る」と出た。
翌日、当時フリーの製作者で大映でも制作をやっていた伊藤武郎に「お前が作れ!」と言い、始められたものだそうだ。(伊藤は、元東宝のプロデューサーで、東宝争議の時は、組合の委員長で、その後の左翼独立プロの指導者の一人であるが、1960年代は大映等で製作をやっていた)勿論、伊藤武郎も、賭博のことなど知らないので、共に戦後すぐに東宝にいて、ヤクザの小説を書いたこともある青山のところに相談に来た。青山も賭博のことは良く知らなかったが、調べて教え、それを基にシナリオが書かれ、現場でどんどん撮影が進められたそうだ。

主演は、本来は若尾文子だったが事故で下り、江波になったとのこと。
本当は、若尾は自分の経歴に傷が付くと思い避けたのだろうと思う。

だが、この田中重雄監督作品は、本当にすごい。最高の「絶対映画、純粋映画」と言うべきものだろう。日本映画史上、これほど無意味、非論理的な筋の映画もない。女の賭博師の言うのがまずありえないし、花札賭博の技も本当かと疑えるが、ほとんど気にならない。さらに、江波杏子のクールな表情と演技、田中重雄監督のテンポの良さが、すべてを救っている。後の女賭博師ものと比較すれば、多分当初の配役が若尾文子だったため、南広との平凡な生活を望む部分が多い等の問題はあるが。東映の藤純子の「緋牡丹お竜」シリーズの亜流だとずっと思っていたが、実は大映のこのシリーズの方が先だったのだ。
日本映画専門チャンネル

ここで私は、純粋映画と形容しているが、たぶん当たっていると思う。映画として筋や中身に意味はなく、リズムとテンポだけで進行していくのだから。ここにテーマがあるのだろうか、もちろんないのだから凄い。この映画の無意味さに、江波杏子の無表情さはよく合っている。

因みに、篠田正浩は、小津安二郎の映画を、絶対映画と言っているが、小津の作品もよく考えると内容的に意味はなく、リズムの心地よさだけだと私は思うのだ。

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