「桜が咲いて冬でした」

1962年の矢代静一の名作『黒の悲劇』の冒頭の台詞である。

昨日の関東地方は異常な暖冬で、中には桜が狂い咲きしたところもあるようだ。

火曜日は、いつものように浦舟町に行き、外囲人中学生学習支援教室に行く。

今年、担当しているのはバングラデシュ系のS君で、非常にまじめで私がいちいち言わなくても自分で勉強を始める。この日は、理科、数学、地理の宿題をする。

ほとんど口出しする必要がないのだが、最後地理については、「個々の事項が出てきたとき、その場所を地図で確認することが重要」と言っておく。

終了後は、いつものSで飲む。

ここのマスターの卒論は三島由紀夫の『豊穣の海』だったとのことで、先週の劇について話す。彼も、「劇にすると聞き、『奔馬』などどうやって劇化するのかな」と思っていたとのことで、さすがである。

先週も書いたが、劇の『豊穣の海』は、ほとんど小説『春の雪』であり、そこに他の小説を挿入した構成で、これは仕方ないものだろうと思う。

さて、飲み終わって外に出ようとするとやっと豪雨が上がったところ。

まだ、少し降っていたが、さっきの豪雨は、まるで「夏の夕立」である。

冬なのに夕立とはこれ如何に、トランプ大統領がいくら否定しても、地球温暖化は間違いない。

その意味では、矢代静一の戯曲は先見的だったと言えるだろう。

ちなみに矢代は、女優毬谷友子の父親であり、彼の妻、つまり毬谷の母親は、女優の山本和子である。彼女は、元は東宝の女優で、今井正の『青い山脈』では杉葉子をいじめる悪役の女学生、また木下恵介の『女の園』では、影の主人公のような不気味な女学生を演じている。

また、小津安二郎の『東京暮色』では、五反田の麻雀屋で高橋貞二、須賀不二夫らとマージャンをやっている女性でもある。

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