新聞によれば、ブラジルのジョアン・ジルベルトが死んだそうだ、88歳。
ブラジルの北東部からリオ・デジャネイロにやってきた彼は、まったくの無一文で、友達の間を泊まり歩いていたそうだ。
その中で、新しいギター奏法を編み出し、それがボサ・ノーヴァに発展していったのである。
これは、アメリカのフォークソングやサーフィンなどと同様、きわめてアマチュア的なものだったが、次第にリオの大学生などの若者中で人気となる。
そして、アントニオ・カルロス・ジョビンとの出会いが、オーバーグランドへの入り口になる。
1964年に、アメリカで作られたLP『ゲッツ・ジルベルト』が世界的ヒットとなり、当時は妻だったアストラッド・ジルベルトも、一躍人気歌手になってしまう。
このLPの『イパネマの娘』の録音は、ボサ・ノーヴァ史上最大のスキャンダルと言われ、ジョアンが昼寝しているときに、歌手になりたかった素人のアストラッドが唯一英語ができるとのことで、ジョアンには黙ってスタン・ゲッツと録音してしまったのである。
だから、この曲のアストラッドは、本当に下手である。
そして、後にアストラッドは、ゲッツのために麻薬中毒にされてしまうのだが。
ジョアン・ジルベルトのライブは、一度だけ見たことがある。
パシフィコ横浜の国立大ホールで行われたコンサートで、この時はたしか30分くらい遅れて始まったが、
「今日は、30分なので早いなあ」との評判だった。
要は、本質的に風来坊で、自由そのもののアーチストだったと思う。
20世紀の音楽を変革した天才の冥福を祈りたい。