『続・Always 三丁目の夕日』 もし映画に臭いが出たら皆嫌になるに違いない

冒頭、昔の東宝スコープのマークからゴジラが暴れ周り東京タワーを倒し、堤真一の鈴木オート店も破壊する。
ゴジラは昭和29年で、この映画の東京タワーができた33年以降とは時代が合わない、これは「夢落ち」だな、と思うと、その通り吉岡秀隆の茶川龍之介が稼ぎにかいている小説で、ガキに「これはゴジラじゃないか」と言われる。
面白いのは、この冒頭のゴジラのシーンだけで、後はダルく古臭い人情話になる。

話の中心は、今回は吉岡の小説が芥川賞に受かるか否かと、ストリッパーになった小雪と結ばれるか。
堤・薬師丸ひろ子夫妻には、事業に失敗してダムに出稼ぎに行く平田満の娘美加を預かる。この娘が、成城に住んでいた金持ち娘で、豚肉のスキヤキ、内風呂ではなく銭湯、小型のテレビと貧家の堤家との生活の違いが表現される。

だが、この映画で描かない当時の一般家庭だった堤家と平田家、そして現在との格差は、実はトイレの問題である。
当時、水洗トイレなどは勿論なく、堤家は勿論汲み取り便所であり、毎月汲み取り屋が来ていたはずであるが、このシリーズでは、そうしたことは一切描かれない。
映画は臭いが出ないので良いが、もし臭いが出たら、映画館は糞の臭いで一杯になり、これだけで皆この映画が嫌になるだろう。

このシリーズで美しく描かれる昭和30年代は、水洗トイレもなく、風呂もなく、テレビはやっと白黒の、途上国文明の時代である。
人情があったって、そんな時代の日本が良いわけはない。
誰がなんと言ったって、現在の日本は歴史上最大の繁栄した幸福な時代なのだ。
別に、福田自民党政権の功績ではないが。

もし川島雄三が見たら、なんと言うだろうか。
それにしても、小雪って大根だね。
こんなつまらない女になぜ吉岡が惚れるのか、理解できない。

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