一番嫌だったのは、

1972年4月に横浜市に入り、市会事務局に配属され庶務課に勤務した。
そのとき、一番嫌だったのは、職場で飲むことだった。
だいたい月に1回くらいで、庶務課長から話があり、各課の係長が人を集める。
飲物は、前にも書いたが、業者からのビール券で賄い、酒屋からもって来る。
ビールもだが、メインは酒で、大きな薬缶に一升瓶から注ぎ、ガス台で暖める。
「まるで、映画『赤いハンカチ』で、ダム工事現場を放浪する石原裕次郎みたいだな」と思った。
もっとも、港湾局に行った時、日本郵船から来ていた課長は、
「酒を飲まないで残業するなんてことはあるの」と言われたので、民間企業でも職場で酒を飲むことはあったようだ。
ただ、飲み会ではなかったわけだが。
私は、当時はほとんど酒が飲めなかったので、3回に1回程度しか出なかった。
誰かさんと違い、「声を掛けられても断る男」だった。
ちょうど、大学の友人達と劇団を作った時で、5時過ぎると東京に行っていろいろやっていたので、到底付き合えなかったのだ。

こうした私を見ていた総務部長は、
「あいつはなんだ!」と言っていると上司の係長から、後で聞いた。
ところが、劇団がダメになり、係長試験を受けることになり、なんとか勉強すると運良く1回で受かった。
その時、余計なことに、この総務部長は、人事委員会事務局長に合格者の順番を聞いた。
「さしちゃん大変だよ、6番だってさ・・・」

その後、部長から彼の姪と言う方とお見合いしないかとの話があった。
世の中なんて、実に現金なものだなと思った。
もちろん、お断りしてお見合いはしなかった。

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