俳優の浜田虎彦がなくなられた。渋い脇役で、これと言う作品はないが、良い役者だったと思う。
90歳だが、2000年から俳優座の代表だったとは知らなかった。
ところで、前から私は、「俳優座、オリックス説」を言ってきた。
オリックスとは、言うまでもなくプロ野球の元阪急のオリックス・バッファローズである。
オリックスは、昔はイチローらがいて、仰木監督の下、3年連続日本一になった。だが、オリックスの宮内オーナーがケチな性か、今やビリの常連チームになってしまった。
同じパ・リーグの再編成チームの中で、野村監督の下、CSシリーズにまで出た楽天よりはるかに下になったのだから、この凋落はひどい。
さて、俳優座の凋落もすごい。
今、日本の演劇に関心がある者の中で、俳優座の芝居に興味を持つものは、ほとんどいないだろう。
だが、1970年ごろまで、俳優座は、日本の演劇界の中心の一つだった。
東野英二郎、小沢栄太郎、東山千枝子を中心に、仲代達矢、平幹二郎、滝田裕介、井川比佐志、市原悦子、田中邦衛から原田芳雄、中村敦夫等の若手まで、多彩な役者がいた、まさに俳優座だった。
家政婦おばさんの市原悦子が新劇女優だったなど、今やほとんど知らないのではないか。
凋落の原因は、千田是也の演出家としての「嫉妬」から役者・小沢栄太郎を切ったことなどいろいろあるが、一番大きかったのは、俳優座養成所を1960年代後半に、桐朋大学の演劇科に移行させたことが大きかったのではないか。
勿論、養成機関を自ら持つことは金が掛かることであり、劇団経営から見れば、桐朋大学に移行させたことは有意義だっただろう。
だが、恐らく高校生で、将来演劇をやろうと思う者は、まず最初に大学の演劇科、あるいは劇団の養成所欄を探すだろう。
だが、そこに俳優座の名はない。
それでは、有望な若者が俳優座の名を知ることはありえない。
文学座や青年座が養成機関を持っていることが、その後も多数の若手俳優を排出している理由なのではないか、と思う。
短期的な利益よりも中長期的な成果の方が重要であることを示す事例である。