数年前、政治問題化した作品だが、ツタヤにあったので借りてくる。
私の家の近所に、横浜では有名な某宗教団体の本部があり、毎日、特に週末には多くの人がお参りに来る。
彼らを見るたびに、「この人たちにはいろんな悩み、苦しみがあるのだろうな」と思う。
一般に新興宗教に行く人は、貧、病、困のある人だと言われている。
この世の悩み、苦しみを救うのは、最後は宗教しかないのか、と思う。
映画『靖国』を見て感じるのも、同じである。
8月15日に、かつての軍服を着て参拝する老人たち、警備会社のような制服で団体行動をする連中、ラッパ演奏をする人々、小泉純一郎支援を掲げるアメリカ人など。
どうした悩み、苦しみを抱えているのだろうか、と思う。
自民党をはじめ愛国的主義者から問題にされたのは、この映画が、そうした靖国信者の「心の傷や空洞」を、やや嘲笑的に描いているからだろう。
「もっと真面目に扱え」というのが彼らの真意に違いない。
批判には反論ができるが、嘲笑には反論ができず、苛立ちしかないのだから。
ドキュメンタりーだから当然にしても、ドラマ的展開には乏しいが、90歳の最後の靖国刀制作者の刈谷氏の姿はすごい。
靖国刀というものがあるとは初めて知った。
最後に展開される戦前、戦中の映像や写真も衝撃的だが、一部の中国側のものを除けば、すべて日本人が撮影したもので、その狂気は誠にすさまじい。