藤田子女姫(ふじた こととめ)という名を知っている人というと、もう50歳以上の方だろう。
彼女は、昭和30年代には美人霊感占い師として大変有名で、よくテレビにも出ていた。
この本は、彼女の実の弟藤田洋三氏が、自分と東亜子(小女姫の本名)の生い立ちから、彼女の死までを書いたものである。
この本の冒頭に、彼らの戸籍上の父親である藤田常吉の家族のことが書かれているのだが、これが複雑すぎてまったく理解できない。
常吉は、わざと普通では理解できないように戸籍を操作していたのだ。
何のために。
多くの娘を自分の養女にして、働かせ、その上前を取るためである。松本清張原作、野村芳太郎監督の映画『砂の器』の中で、戦災により役所の書類が喪失した際の戸籍復活の件がある。
なんと、常吉は、この仕組みを熟知していて、全国の市役所等が火災等の災害で、書類が亡くなった実例を日々新聞で探していたのだそうだ。
九州の石炭鉱山の女郎屋に関係していた常吉は、また偽大学生を商売とする男でもあった。
ニセ大学生は、昭和初期、地方では商売になったのだそうだ。
彼は、中央大学卒業を騙って若い女を騙し、また本当に大学の応援団の団長をし、柔道部の連中の面倒を見ていたというのだからすごい。
勿論、金の出所は、すべて女である。
まったく下層社会の裏はよく分からない。
戦後、彼らは、東亜子を看板にした女の占い集団となり、全国を移動する。
だが、それは表の看板で、本当は炭鉱の男や、米軍の兵隊相手に商売をする売春集団であった。
その中心に置かれたのが、藤田小女姫であった。
彼女は、学校にはまったく行ったことがなかったようだ。
よく彼女の紹介記事で、「女の信者が彼女のところに来て門前市をなしていた」と言うのは、夜は売春婦に化ける女たちによるサクラだった。
だが、次第に炭鉱も米軍もなくなり、彼女らはは東京で霊感占い師と側近になる。また、昔から藤田常吉に組織されて、彼女の周りにいた柔道部の男たちは、サンケイ新聞に入る。
そして、政治、財界、芸能人とのつきあいが増え、有名占い師になる。
そして、彼女の名義になっていた有楽町のサウナが火災を起こし、裁判になると、彼女はハワイに引っ越す。
その後は、経営コンサルタントを名乗っていたらしいが、1994年2月に彼女は、ハワイで養子の息子と共に殺害されてしまう。
この事件には、北朝鮮が絡んでいた等のうわさがあるが、本当はそのようなものではなく、結局彼女の周辺にいた、金を目当ての連中とのトラブルで殺害されたのだろうとしている。
多分、そうだろうと思う。
藤田洋三氏と東亜子は、結局一度も会わず、電話で何度か話したことがあっただけだそうだ。
これを読むと、先日見た寺山修司作の『身毒丸』の題材となっていた近親相姦、子殺し等の因果物語は、日本の下層社会に本当にあったことだと思えて来た。