7月に亡くなられた中村とうようさんとお別れする会がホテルニューオータニで行われた。
亀渕昭信さんの司会で、まず石坂啓一さんと湯川れい子さんのあいさつと献杯。
業界の大ベテランのお二人の、思わず感極まる言葉に、とうようさんの偉大さをあらためて思う。
亀渕さんからは、とうようさんから式の詳細について細かい指示があったとのこと。
葬式屋にはやらせるな、ホテル等の交通至便なところで、会費は7,000円以内等々。
ご指示の一つの「映像ショー」は、関谷元子さんと田中勝則さんの解説で。
眉目秀麗な少年時代から大学生、銀行員、そして初期の音楽評論家時代。
『ニュー・ミュージック・マガジン』以後では、高橋修編集長が新入社員だったと言う、2回行われた社員旅行の写真も。
映像では、1992年のキューバのイベント『ノーチェ・トロピカル』のためのテレビ朝日の紹介番組では、なんと蓮舫参議院議員もステップをとうよう先生から教えられていた。
内田裕也ロッケンローラーのお言葉、サンディーのハワイのお祈りなど、大変バラエティーに富んだ趣向。
来会者は、ミュージック・マガジンの斎木小太郎さんによれば、「それほど大規模にせず、直接中村とうようさんと関わりのあった人だけにした」とのことだが、400人くらいだろうか。
石坂啓一さんをはじめ、飛び入りでご挨拶された元BMGビクター社長の佐藤修さん、最後に話された遺言執行人で元ポリドールの折田育造さんなど、とうようさんが若い頃付き合っていて、その後レコード業界のお偉方になった方が多かったようだ。
それにマガジンの元編集者やライターの方など。
岡田則夫さん、山岸伸一さん、加藤彰さん、高橋健太郎さん、原田尊志さん、寺尾裕嗣さん、高橋修さんなどと話す。
北中正和さん、小倉エージさん、深沢美樹さん、真保みゆきさん、小島さちほさん、篠崎弘さん等もいた。
そして、ここには老若男女等の差別が一切なく、自由で対等の世界があった。
岡田則夫さんが、『レコード・コレクターズ』の再開された今月号の連載『蒐集奇談』で書かれている。
子供の頃岡田さんは、コイン収集が趣味で、中学3年のとき、収集家の売り立て会に参加したそうだ。
勿論、金がないので何もできなかったが、そのときベテランの方から丁寧にいろいろと教えてもらったそうだ。
このように収集家の世界では、そうしたすべての参加者を平等に扱う習慣があったと書かれている。
所謂趣味の世界では、実社会での年齢、序列、学歴等は一切関係なく、その世界での知識、教養、センスだけが問題になる。
とうようさんについては、この日も、せっかち、怒りんぼ、わがまま等が言われた。
私も、何度か怒られ、そのとき思ったのは、「とうよう大先生が、こんなチンピラ相手に何で怒っているのだ」と言うものだった。
だが、これは相手をきちんと一人前に扱っているからなのであった。
その意味で、1980年代後半から、中村とうようさんが、ワールド・ミュージックに、「世界中の音楽を等価値に見ること」を見出し、強力に押したのも当然だったわけだ。
昨夜の「お別れの会」も、参加者がすべて対等で非常に自由な世界だった。
帰りは、一人で追悼するために、いつもの北品川の店に行って飲む。