『カミサマの恋』

主人公のカミサマは、津軽にいて、悩みを持つ人の話を聞きき、神様に祈り、その声を告げてあげる女性である。
イタコとは違い、異常な憑依はせず、ごく日常的に神様の声を聞き、相談者に伝える。
まるで悩み事すべての、よろず相談係りであり、精神的カウンセラーである。
作者は青森在住の劇作家の畑澤聖悟、演出丹野郁弓、主演は奈良岡朋子。

嫁との孫の教育方針の衝突、結婚相手の見つからないりんご作りの孫、引きこもりで26歳でやっと大学入学する孫のことなど、近所の高齢女性(塩屋洋子、箕浦康子、船坂博子)が大半だが、テレビでの紹介を見て、東京から若い女性の相談者(飯野遠)もやって来る。
奈良岡がカミサマの声を伝え、問題を解決して行くのが劇の筋である。
さらに、この劇の核心に、生まれ変わり、前世の体験の記憶があるのが大変興味深い。

自分は、実は誰かの生まれ変わりであり、その前世の記憶を持っていると称する人は、意外にも多く、特にアジアの途上国では多く存在している。
以前BBCが、インドでそうした「前世の記憶を持つ子供たち」を取材した番組をテレビで放映した。
前世の記憶は、その根底に「輪廻転生思想」があり、チベット宗主ダライ・ラマを代々の生まれ変わりで選ぶのが、その典型であろう。

東京から夫との不仲を相談に来た離婚相談に来た飯野は、奈良岡から、彼の息子で、25年ぶりに瀕死の状態で戻って来た蕩児の銀冶郎(千葉茂則)の亡くなった妻の生まれ変わりを演じてくれと頼まれる。
千葉は、亡くなった妻の生まれ代わりと半ば信じる過程で病から奇跡的に回復する。

だが、放蕩無頼で本来自分勝手の千葉を「人間のクズよ!」と娘の小島佳代子が批難したとき、奈良岡に、千葉の亡くなった妻が下りてくる。
これは「ほとけ下ろし」というもので、亡くなった人の霊を呼び出して、その声を聞かせるもので、イタコの神下ろしのようなものだそうだ。
この奈良岡の演技はすごかった。
実にさりげなく憑依しているのだが、こういうさりげなさが憑依のシーンで演じられたのは、大変珍しいと思う。
新劇にも秋元松代の『常陸坊海尊』のようにイタコが出てくる劇はあったが、それは常に異常な憑依で表現されていた。
民芸は、若手も含めて役者の演技のお行儀が良いのは大変好ましく見える。
紀伊国屋ホール

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