『東京物語』と言っても映画ではない、山田洋次、作・演出の劇団新派の芝居である。
勿論、小津安二郎・野田高梧の脚本は最大限に尊重されているが、狭い三越劇場なので、セットは東京下町の長男が営む平山医院のみ。
映画では、山村聰の医院の他、長女杉村春子が、何をしているのか得体のしれない髪結いの亭主中村伸郎とやっている美容院、戦死した次男の未亡人の原節子が住んでいる同潤会アパートらしき部屋、そして笠智衆と東山千枝子夫妻が住んでいる尾道の家が出てくるが、それは総てなく、また映画では香川京子が演じた小学校教師の次女も出てこない。
東京から体よく追われた笠と東山が過す熱海の旅館の一夜もない。
総じて、結構小津の作品にあるお笑い的要素は減らされていて、唯一喜劇的場面を引き受けるのが、居酒屋の女将の英太郎(はなぶさたろう 女形である)。
ストーリーは、映画と全く同じで、昭和28年の夏、尾道から安井昌二と水谷八重子夫妻が、東京の長男、長女を訪ねてやって来る。
時代の再現は極めて厳密で、映画では熱海の旅館のシーンで、ラテンや近江敏郎の曲が使用されていたが、ここでは春日八郎の『赤いランプの終列車』など。
町医者の田口守の長男も、美容院の長女の波野久里子も仕事に忙しく、どこか両親の上京に持て余し気味であるが、原節子が演じた未亡人の紀子(瀬戸純麻)は、夫妻に親切を尽くしてくれる。
そして、熱海から戻って来たとき、あっけなく水谷は脳梗塞で倒れて死んでしまう。
これを見て、新派の役者の芸質がよくわかった。
波野久里子は、口うるさく、感情の起伏が激しい杉村春子が演じた長女の役にピッタリだった。杉村春子は、良く新派的と言われたらしいが、その通りだった。
だが、東山が演じた母親役は、水谷八重子は、どうにも変だった。
やはり、新派と新劇は本質的に違うということなのだろうか。
映画では、あまり気がつかなかったが、この平山医院があるのは、東京の下町でも端の方の金町あたりらしい。
となれば葛飾区で、山田洋次・渥美清の『男はつらいよ』の柴又と同じ区である。
三越劇場
コメント
平山医院の場所
本当に平山医院は金町ですか?小生は金町駅前の公団アパートに長いこと暮らしていましたが、江戸川は大河で、映画に出てくるような、土手の下に家が密集しているところではありません。あえていうなら、金八先生の舞台である荒川千住あたりの土手か(杉村春子のパーマ屋は千住のおばけ煙突のそば)か、葛飾でも中川の土手下ではありませんか。小生が子供の頃行った医院は映画と同じ中川の土手の下にありました。
映画とは違うようです
映画と劇は、設定が違うようです。
映画では、杉村の美容院と平山医院は、別の町ですが、劇では同じ町内になっていました。
映画では、平山医院の場所は曖昧になっていますが、劇では確かに「金町駅まで」というセリフがあり、金町に設定されていました。
平山医院は、有名な人だったのでしょうか。
劇では、長女が「博士なのに、なんでこんな場末でくすぶっているの」と批難するのに対して、長男は「ここで庶民を見るのが好きだし、使命だと思っている」と反論していましたので、やや共産党的ですが。