渡辺さんの眺花亭で『静かなる決闘』を見た

墨田区千歳にある、渡辺信夫さんご夫妻がやっておられる私設図書館の眺花亭で、黒澤明の昭和24年の映画『静かなる決闘』を見る。
実は、私もこの作品を大きな画面で見るのは、1995年の横浜ニュース劇場で見て以来の17年ぶりなのだ。
その結果は、当日来られた7人の方が、上映終了後異口同音に言っておられたが、まことに素晴らしいものだった。

この映画は、戦地で手術中に梅毒に感染した医者の三船敏郎の苦悩を描くもので、最も黒澤らしくない、ダイナミックなドラマも表現主義的な画面もあまり見られないものなのであり、なかなか映画館で上映されない作品である。
だが、三船をはじめ、恋人役の三條美紀、父親の志村喬、ダンサー上がりの看護婦千石規子、三船に梅毒を感染させる不良の植村謙二郎、その妻中北千枝子と役者の全員が素晴らしい。
また、本当に真剣に演技し、演出している黒澤の心情がわかる作品になっている。

作品の中で、三船は梅毒感染は、自分の責任ではなく、事故であることを告白し、その真摯な姿に志村喬と千石規子は感動する。
これは一体なにを意味しているのだろうか。
私の考えでは、戦争中一度も徴兵されず、逆に戦意高揚映画『一番美しく』を作り、戦争へと国民を扇動した黒澤自身の戦争責任、自己贖罪だろうと私は思ってきた。
黒澤の『蝦蟇の油』では、20歳の徴兵検査の時の担当官が、父親の教え子で、配慮されたからだと書いてある。
だが、そんなことはなく、最後は43歳まで年齢は引き上げられ、東宝でもカメラマンの三村明は、40歳で徴兵されたのである。
だから、黒澤が徴兵されなかったのは、きわめて例外的なのだが、東宝は陸海軍から戦術、戦法のマニュアル映画の注文を受けている等、一種の軍需企業で、軍部とは極めて緊密だったので、黒澤一人くらい徴兵延期できたと思う。
東宝が、徴兵延期をしてくれたことは、石井輝男や宮島義勇の本に書いてある。
今回、あらためて見て思ったのは、黒澤明を徴兵延期にして、その代わりに『一番美しく』を作らせたのは、森岩雄らの東宝の幹部の差し金、方針で黒澤は、そのことをよく知らなかったらしいということだ。
しかし、黒澤は、そのことを自分がしたことのように重い責任として思っていたのである。

東宝は黒澤を徴兵延期にして、なぜ戦場に行かせないようにしたのか。
それはせっかく日活から引き抜いてきて、将来の東宝の柱にしようとした山中貞雄が、たった1本の映画『人情紙風船』を残して徴兵され、中国であっけなく病死してしまったからだと思っている。
多分、間違いないだろう。

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