三島由紀夫と若者たちとサブタイトルされた若松孝二作品は、三島由紀夫と楯の会の森田必勝が、自衛隊市ヶ谷庁舎で幹部職員を監禁し、招集した自衛隊員にバルコニーから演説をしたが全く受け入れられず、森田と共に自決したことを描いている。
この作品にも、虚実の実はあるが、虚はあまり存在せず、結局「ああそうですか」という起伏も平板なものになっている。
私の想像では、三島の遺族である娘や息子らからの了解が得られなかったので、このような表現になったのではないかと思う。
フィクションを混ぜる作り方はいくらでもあっただろう。
増村保造の映画『からっ風野郎』のラストで、三島由紀夫は神山茂の殺し屋に射殺され、エスカレーターをひっくり返って昇っていく名場面で死んでいた。
その三島が、エスカレーターの中で本当の死を妄想する。
あるいは演出家の堂本正樹よれば、三島と堂本は昭和30年代の出会った頃から、中世や近世の腹切り本等の絵を見て互いに興奮し、腹切りごっこをしたそうである。
その腹切りごっこから、1970年11月25日になる、というのも面白かったと思う。
この三島の自決について、大島渚は書いていた。
「三島さんの思想は三島由紀夫に従ったが、肉体は三島を裏切った」と。
最後、自衛隊員の説得に失敗した三島は(そもそも市ヶ谷の自衛隊員で、三島由紀夫の小説を読んだ者がいたのだろうか)、自決のため小柄を自分の腹に刺すと、森田必勝は、三島の首を斬り落とそうとするが、できない。
ボディ・ビルで鍛えた三島由紀夫の首の筋肉が硬くて、森田は斬り落とせなかったのである。
そこで、剣道の上段者の古賀が代わり、一撃で斬りおとす。
古賀は、続いて森田必勝も斬る。
なぜ三島由紀夫が、楯の会を作り、市ヶ谷で自決に至ったのかは、私にも分らない。
彼の孤独感からだろうが、それだけではない。
簡単に言えば、結核と間違えられて即日帰郷し、結局軍隊に入り、従軍することのなかった平岡公威の従軍体験の再現だと言えるかもしれない。
戦時中、三島は戦乱の戦闘の中で死ぬという、甘美な妄想を抱いていたと書いていたと思う。
だから、1960年代の過激派運動の興隆の中で、過激派と自衛隊(官僚によって支配されている警察ではなく、素朴な兵士によって構成されている自衛隊である)の衝突の中で死にたいと妄想しても不思議ではない。
日本の著名な芸術家で、徴兵されず、従軍しなかったのは、三島由紀夫と黒澤明であり、この二人が世界的名声を得たことと、従軍経験の欠落は、無関係ではないと言うのが私の考えである。
キャスティングで言えば、三島の井浦新と妻瑶子の寺島しのぶは、本人に比べて非常に背が高すぎるのは、映画なので仕方ないのだろうか。
ただ、井浦には、少しはボディ・ビルの訓練をして、気分が悪くなるほどだった三島の筋肉のすごさを再現してほしかったと思う。
それは、三島由紀夫の肉体コンプレックスの裏返しのそのものなのだから。
黄金町シネマ・ジャック
コメント
11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち 監督/若松 孝二
【出演】
井浦 新
満島 真之介
岩間 天嗣
【ストーリー】
「仮面の告白」「金閣寺」「憂国」など、次々に話題作を発表し、人気絶頂期にあった文豪・三島由紀夫。時は学生運動全盛期。三島は文筆業の傍ら、民族派の若者たちを組織化し、有事の際には自衛隊と共に決….