日本シリーズがないので、ちょうど録画した映画を見たが、実にバカバカしいものだった。
話は、1945年8月15日の終戦秘話だが、筋のつじつまがあっていない。
題材としては、フィリピンで山下奉文が略取したといわれる「山下財宝」もの。
三船敏郎が監督した凡作『五十万人の遺産』も、山下財宝ものだったが、これはフィリピンにあるのを探しにいいくものだった。
だが、ここでは、密かに日本国内に持ち込まれて秘蔵されており、敗戦時に軍首脳が、堺雅人、福士誠治、中村獅童の軍人に隠匿することを命じ、彼らが女子学生を使って三多摩地区の弾薬庫に運び込む。
引率の教師の名は、三多摩に因んで、ユースケ・サンタマリア。
その財宝輸送と隠匿の極秘任務が終了したとき、昭和天皇の玉音放送が流れる。
だが、少女たちは、軍から用意されていた自決用の青酸カリで全員自殺してしまう。
ただ一人、中村獅童と一緒にのんびりと風呂掃除をしていて、その場にいなかった八千草薫を除き。
こんな変な話は聞いたことがない。
天皇の玉音放送を聞いた後に自決した民間人など、いただろうか、それも19人も。
みんな、「これで助かった、戦争で死なずに済んだ」と思ったはずで、それが普通である。
ただ、戦争の悲劇で観客を泣かせるための筋書きに過ぎず、大変不自然に見える。
さらに、変なのは、昭和23年頃、米占領軍によって偶然財宝が見つかり、マッカーサーが見に来る。
だが、そのトンネル内の自決した少女の遺体の山を見て、そのままにして帰ってしまう。マッカーサーって、そんなに清廉潔白な人間だったとは初めて聞いた。
また、戦後、堺雅人が病院に入院している梅津美治郎に会いにいき、福士は、マッカーサーの前で、財宝の使用法と戦後日本の経済再建について演説して自殺するが、この二つも理解できない。
彼らが、弾薬庫の財宝を掘り出して、自分の物にしようとしないのも理解に苦しむ。
日本人は、清く正しく美しいというのだろうか、本当に馬鹿じゃなかろか。
もし、本当にトンネルに数百兆の財宝が埋まっているとしたら、たとえ米軍に接収されていたとしても、どのような手を使っても掘り出すのが普通の人間の行動である。
敗戦後、軍の隠匿物資を横流しして儲けた話はいくらでもあるというのに。
こうした自然な欲望を無視しては、やはり映画は成立しない。
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