1973年、松竹で作られた作品で、原作は上村一夫原作の劇画で、同棲という言葉自体が流行語だった。
主人公は、飛鳥今日子の由美かおると江夏次郎の仲雅美、『同棲時代』という歌を歌ってヒットさせていた大信田礼子も出るなど、サービス満点の映画。
脚本は石森史郎で、監督は山根成之である。
新宿の街頭で1年ぶりに再会した二人は、飲みに行き、そのまま仲雅美のアパートで同棲に入る。
同棲を提案したのは今日子の方で、彼女は「進んだ女」だった。
次郎は、フリーのイラストレーター、今日子は小さなデザイン会社に勤務するグラフィック・デザイナー。
会社の社長は、入川保則で、今日子にプロポーズしたりするが、もちろん断る。
だが、今日子は同棲しているとは言わない。その程度には、同棲はやや反社会的な響きがあったのである。
お定まりのように些細なことからの諍があり、酔ってセックスして避妊をしなかったことから、妊娠してしまう。
中絶するか否かでの争いもあるが、今日子も中絶に同意し、再び同棲して行こうというところで終わる。
さて、大船のいかにも古臭いこの映画で、山根は結構お遊びを試みているが、城戸四郎の「検閲」をどのように逃れたのだろうか。
一番笑ったのは、隣の部屋のひし美ゆり子と加島潤夫妻で、結核でもう死ぬと分かっていたひし美ゆり子は、突然裸になり、
「あなたの好きなことをやっていいのよ」と言う。
すると「赤旗」を読んでいた加島は、裸のひし美をロープで縛り、ムチで打つストップ・モーションの画面数枚。
普段はまじめな脇役の加島のいきなりの変身で、大いに笑ったが、次のシーンでは、ひし美は、棺桶でアパートから出てゆく。
その他、画面を鈴木清順のようにグラフィックにしたり、公園のブランコに次郎を乗せ、『ゴンドラの唄』を歌わせる。
また、今日子が中絶手術をした病院に来た次郎は、赤いリンゴを今日子にあげると、彼女はそのままリンゴにかぶりつく。
この二つのシーンは、明らかに黒澤明の『生きる』と大島渚の『青春残酷物語』を下敷きにしている。
もう40年前の作品で、入川保則は癌騒動の後に死んでいるし、原作の上村一夫もいない。
今や、反フリー・セックス時代で、同棲など若者はしないに違いないが、時代は変わったものである。
変わらないのは、由美かおるだけだろうか。
チャンネルNECO