本田技研工業を作った本田宗一郎とその妻を描く映画で、ここでは幸田礼次郎となっているが、本田を演じるのは高橋貞二、妻は高千穂ひづる。
彼の片腕的職人が伊藤雄之助、オートバイ工場の親分に多々良純、高橋夫妻の娘は、子供時代は四方正美、成人してからは桑野みゆきである。
四方正美が、1959年とこんなに早くから映画に出ているとは知らなかった。彼女は、安井昌治・小田切みきの娘で、長女、四方晴美の姉である。
昭和17年から始まり、高橋の義弟、つまり高千穂ひづるの弟の森美樹が、出征しマレー半島戦で、銀輪部隊としてニュース映画に出ている。
これは、戦前、戦中ニュース映画が大人気だったとき、よくあったことで、「ニュースご対面」と言われ、日本映画社では、カットを複製してくれたそうだ。
だが、オートバイ狂の高橋貞二は、銀輪部隊のような人力では戦争に勝てないと、自転車にエンジンを付けた車を考案し、陸軍に採用される。
妻の高千穂ひづるは、寺の僧侶宇野重吉の娘で、小学校の教員で、この二人は言わばインテリと鍛冶屋の息子の職人との恋だった。
だが高橋の「あなたを見ないと一日も生きていられないのです」
との申し出にほだされ、その率直さに宇野重吉も二人の結婚に賛成する。
戦時中も、機械いじりがやめられない高橋は、事あるごとに軍に睨まれて、特高に調べられ軍歌を高唱するところのバカバカしさは大いに笑える。
監督は内川清一郎で、新東宝、松竹等で作品を作ったが、丹波哲郎によれば直上径行型で人間関係が下手で、次第に上手く行かなくなったとのこと。
その意味では、主人公の本田宗一郎も、単純で率直な人柄であり、内川監督によく似たタイプだったのだろう、この作品は大変成功している。
戦後、陸軍の無線機の発電エンジンと湯たんぽをガソリンタンクにしたアイディアで、自転車オートバイ、バタバタを発明し、大成功を収める。
そして昭和32年には、藍綬褒章を受賞する。
その席に来た電報は、妻が肺がんで死んだ知らせだった。
彼も、この勲章は俺のものじゃない、妻のものだと高千穂の胸に置く。
今や、ガソリン車から電気自動車に転換し、いずれガソリン車がなくなろうとするとき、
「俺はガソリンの匂いが死ぬほど好きや」という男はもう現れないに違いない。
チャンネルNECO
コメント
妻の勲章、リアルタイム
この映画は、母に連れられて小学校当時
二リアルタイムで観ました。
出演者以前に物語に感動し忘れる事のできない映画となり中学一年の時に私も自作でオートバイを手作りいたしました。
人間は何処で運命が代わるか分かりません。
私にとっての貴重な映画です。
『木製オートバイ』で検索。当時の私に会えます。