「証拠を出せ」と言われても

4月に現代企画室から『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』を出したところ、朝日新聞や週刊朝日、さらに図書新聞、ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ等で書評されたが、概ね好意的な批評が多かった。

だが、その中で、「黒澤明の徴兵延期を東宝がやったという証拠がないではないか」という疑問もあった。

6月6日に代官山で行ったトークイベントでも佐藤忠男さんからも、「具体的な証拠がね・・・」と言われた。

もちろん、私も尊敬し、拙書を書く上でも一番参考にしたのが佐藤さんの『黒澤明の世界』だったので、反論はしなかった。

しかし、東宝が黒澤明やその他の有力スタッフの徴兵を延期させた証拠はないのは当然なのである。

恐らく、陸軍から東宝のスタッフに召集令状が来た時、会社は「この者は、映画制作にとって重要で他に代わるものがない」と判断された時、

東宝は陸軍に対して「徴兵延期のお願い」の文書を出したと思う。

大日本帝国陸海軍は、基本的に文書主義だったのだから。

だが、そうした文書は、1945年8月15日の日本敗戦の後、すべて焼却されている。

東宝は、戦時中に航空教育資料製作所で作った「軍事マニュアル映画」のフィルムもポジ、ネガ共焼いたそうなので、戦争関係書類も同じだったと思う。

さらに言うまでもなく、陸海軍も重要書類を焼いているので、徴兵忌避の証拠はないのである。

だが、黒澤明の心に残った傷は、戦後の作品に、晩年の『影武者』『乱』『夢』に至るまで痕跡を残していると言うのが、私の考えである。

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