かつて「壮大なゼロ」という言葉があった。
1960年代に、穏健な大衆運動に転換していた日本共産党の運動方法を新左翼の過激派が揶揄したものだが、ここでのゼロはもちろん零戦のゼロである。
安倍晋三首相お気に入りの作家百田尚樹原作の小説の映画化だが、アベチャンほど百田氏は単純でも愚かでもないことがわかって一安心した。
だが、言い訳の多い映画で、基本的にはお涙頂戴であって、爽快さには乏しく、戦争映画としての魅力は、CGによる空戦のみだろう。
筋書きは、亡き祖母の最初の夫宮部久蔵の岡田准一が、零戦のパイロットで、彼の軌跡を孫の三浦春馬と吹石一恵が、生存者たちに聞き、岡田が特攻攻撃にまで行った心情をたどるもの。
作品としては、真珠湾攻撃から玉音放送までの太平洋戦争を描くもので、ここでは多くの日本人は戦争の被害者である。
この太平洋戦争の原因であり、前段の満州事変から日中戦争における加害者としての日本人は出てこない。
その意味では、相変わらずの被害者としての日本人を描くもので、特に新しい視点ではない。
満州事変から日中戦争の期間は、所謂戦時景気の時代で、その好景気を背景に昭和初期のモダニズムもあった。
言わば「戦争による幸福」をほとんどの日本人は享受していたのであり、その意味では加害者でもあったと言えるだろう。
真珠湾攻撃からミッドウェー、ラバウル等の空中戦が描かれるが、その中で宮部久蔵の岡田が、腕は良いが乱戦になるとすぐに退避して戦いに参加せず「卑怯者」と呼ばれている。
空戦のCGは、すごいと言え、特に、ラバウル上空で、宮部が米軍機に追走され撃墜されそうになるところは迫力があり、かつてのアナログの特撮では不可能なアングルの描写がある。
また、ミッドウエー戦のとき、爆装転換に際し、
「陸上用爆弾でも良いから、ともかく攻撃機を出して時間を稼げ」と主張するのは正しいと思うが、これは現在の視点であり、当時の官僚的な海軍軍人の思考には無理だったものである。
南雲も源田実も、敗戦の責任者であり、その意味では同罪だろう。
臆病者、卑怯者と罵られながらなぜ宮部久蔵が生命の大切さを主張するのか、現在では当然のことだが、当時は最異端の思想を抱くに至った理由が不明確なので、彼の心情はなかなか理解できない。
ヒューマニズム、人間最優先が、今日の最上位の思想だが、昭和20年までは天皇陛下が最上位の価値で、そのためには死ぬことが正しいこととされていたのだが、それをこの映画を見た人は理解できたのだろうか。
私から見れば、真珠湾攻撃に際し、東宝には秘密スタジオの航空教育資料製作所(戦後は新東宝撮影所になる)で、真珠湾攻撃の魚雷攻撃法をはじめ、51本もの軍事マニュアル映画を作っていたことが抜けているが、誰も知らないのだから、その無智には目をつぶろう。
この東宝の秘密スタジオ航空教育資料製作所については、当ブログの4月24日に書いてあるので、ご参照いただければ幸いです。
主人公の名が、宮部久蔵とは、黒澤明の『七人の侍』の宮口精二が演じた剣士久蔵と宮口精二から来たものなのだろうか。
横浜ブルグ13