1936年は大変に興味深い年である

今朝の東京新聞に、戦前洲崎にあった洲崎球場のことが出ていた。
1936年にでき、日本最初の野球専用球場で、伝説の巨人・阪神戦(当時は大阪タイガース)で、沢村英治が快投をしたところである。
私の知人の父は、約30年近く前に亡くなられたが、子供の時、「洲崎や上井草球場で沢村を見たことがある」と言っていた。
生きていれば90歳近くになるはずだが、当時は神田に住んでいた都会っ子だったので、プロ野球をよく見に行ったようだ。

さて、この1936年、昭和11年は、言うまでもなく「2・26事件」が起きた年で、昭和史では、軍国主義に進んで行った「暗い時代」の始まりとされる。
確かに今から見れば、太平洋戦争へと向かっていた時代となるが、同時に大衆文化の「享楽」が花開いた時代でもあった。
この年に、松竹がトーキー映画製作のために、蒲田から大船に移転したように映画はほとんどがトーキーになり、フリーターだった黒澤明は、助監督試験を受けて合格し、PCLに入る。
小津安二郎は、蒲田で茂原英雄が開発した茂原式トーキーで『一人息子』を撮り、当時の著名な監督が参加して日本映画監督協会ができる。
つまり、映画を代表に大衆娯楽が産業として形成されて来た時なのである。
その一つとして、プロ野球(職業野球)も事業化されたと言えるのだろう。

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