川崎の少年の事件を見ていると、かつて暴力的な連中はいくらでもいたが、それは彼ら内部のことで、普通の人間、素人さんには手を出さない不文律があった。
それがなくなったのは、やはり暴対法によって暴力団が町から一掃されたことが大きな原因だと思う。
私が生まれ育ったのは、川崎の対岸の大田区池上で、非常にガラの悪いところだった。
中学校には少年院に行ったこともあると言われている少年もいて、彼に一度だけ脅かされたことがある。
ある日、なぜか自宅の近くの道で会うと、いきなりこっちに来て「金、ないか!」と言われた。
持っていなかったので、「ないよ・・・」というとそれで終わりだった。
このように、彼らは彼らの世界の秩序と価値の中で生きているので、素人さんには基本的に手を出さなかったのである。
川崎の中学生を殺害した18歳の少年は、恐らく両親はもとより、学校などの連中の言うことなど聞くことはなかったと思う。
もし、彼にものを言える人間がいるとすれば、彼よりも暴力を持っている大人であり、昔で言えば、末端の暴力団だったと思う。
悪には悪の秩序があり、その世界がある。
それを国家の暴力で無理やり抹殺しても、新たな問題が起きるだけなのである。
江戸時代の、ヤクザにはヤクザの一定の役割を世の中で果たしてもらうというのは、正しかったと思うのだ。
世の中は、きれいにすればそれで済むというものではないのだ。