梅雨の晴れ間の日、バスツアーで東京に行く。あじさい、バラ、菖蒲である。
まずは、白山神社のあじさい。あじさい祭りは有名だそうで、かなりの人出だった。
境内には、紀元2600年奉祝の碑があり、白山三業地組合と指ヶ谷町内会の寄付によるもので、この白山下もかつては花街があり、有名だったのだ。
外の通りには、京華学園がある。世界の巨匠、黒澤明と武満徹が出た名門校である。昔は、違う場所にあったらしいが、東京の山手と下町が交差する場所で学んだお二人が世界の巨匠となったことは興味深いことである。
それは、言わば日本と西欧の交わるところだったからである。
次は、駒込の旧古川庭園、その名の通り古河鉱業の創始者古河市兵衛のお屋敷だったところで、東に向かって降りる谷に沿って広大な邸宅ができていて、西欧風のお屋敷は、ジョサイヤ・コンドルのもの。
その下にバラ園ができているが、バラは英国王朝との関係が深く、プリンセス・オブ・ウェールズやプリンセス・ミチコなどもある。
この近くには六義園もあり、高校の時、女の子たちと遊びに行ったが、これも岩崎家のものだったそうだ。
ともかく、戦前の富豪の富の凄さにはあらためて驚く。言うまでもなく、戦後は民主化、平準化したのである。
それは、日本人が得意の集団主義にもよくあっていたわけで、それが戦後の発展を生み出したと言えるだろう。
最後は、東京の北のはずれ、柴又や金町の先の水元公園の菖蒲。
これが非常に広大なところだったのには少々驚く。映画『男はつらいよ』の第一作で、主人公の渥美清は、お寺の娘光本幸子と水元公園でボートに乗り、楽しい時を過ごす。
それを見た私の先輩二人が、ボートに乗ろうと水元公園に行ったが、ボートはなくがっかりしたそうだ。
ボート遊びのシーンは、映画だけの特別だったのである。
帰り、金町には、東京理科大があった。飯田橋から移転してきたわけで、ここには前は三菱製紙があったらしい。
製紙工業も水を大量に使うので、東京でも王子、十条、そしてここ金町と水辺に立地していた。
多分国内での製紙生産がなくなり、海外の現地での生産に代わったので、廃止されたのだと思う。