大田区で、3歳の幼児が自分にガンをつけて生意気なので、折檻したとか、母親が子供を虐待したなどの事件が報道されている。
すぐに来るのが、「こんなことは昔はなかった、原因は戦後の変化で、戦後教育の誤りだ、諸悪の根源は日教組だ」とくる。
だが、子殺し、親殺しはギリシャ時代からあったことなのである。
それに気づいたのは、1983年2月に帝劇で鈴木忠治が作・演出した『悲劇・アトレウス家の崩壊』を見た時だった。
家庭悲劇であり、それは小津安二郎程ではないにしても、神代辰巳程度の日常的な劇だと『ミュージック・マガジン』の劇評に書いた。
事実、メディアは、子供を殺し、オイディプスは自分の父を殺してしまう。
こう考えると、人間もその社会も、ギリシャ時代から大して変わっていないことに気付くに違いない。
植木等ではないが、
「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間なのである。