ノマドへの憧れ

1969年11月17日、小雨の中を私は家にはいられず、蓮沼のヒカリ座に行った。松竹の『男はつらいよ』と日活の『長崎の顔』(監督野村孝)、そして東映の『お勝兇状旅』(中川信夫)を見たとノートには書いてある。

言うまでもなく、山田洋次監督、渥美清主演の国民的映画になる「男はつらいよ」の1作目であり、館内は前日の佐藤首相訪米阻止闘争の「蒲田騒動」で自警団を務めた蒲田のお兄ちゃんたちで一杯だった。

夜を町で過ごした彼らは、たぶんそのまま映画館で寝ていたのである。

さて、この映画で一番心に残ったのは、渥美清の寅次郎が、最後に弟分の津坂正章(現、秋野大作)とともに、どこかの祭礼で物を売っているところだった。

「こんな風に、露天商になって全国をさすらったらどんなに良いだろうか」

実は、私は故あって、露天商(金魚釣り)のアルバイトを1日だけしたことがある。夏の土曜日だったが、たった1日で2万円という売り上げに驚き、「随分と儲かる仕事なんだな」と思ったものだ。

事実、テキヤは結構儲かる仕事だが、やはり「あぶく銭」は適当に使いたくなるもので、多くは賭博(競輪や競馬など)ですってしまうケースが多いそうだ。

さて、いま一番熱心に見ているテレビは、放送大学だが、高橋和夫先生の「パレスチナ問題」と並び、大変に興奮したのが、京大の木村大治先生の「定住と遊動」だった。

                                       

この遊動にノマドが中てられていて、これは狩猟採集民と牧畜民のことで、定住せずある領域を誘導する民をいう人類学の言葉だそうだ。

人類が生まれて約500万年だが、そのうち499万年は狩猟採集時代で、約1万年前に農耕と牧畜ができたのだそうで、さらに約200年前から工業社会になったわけである。

つまり、人類の99.8%は、狩猟採集民の時代だったということになる。もっとも、今ではアフリカ、ニューギニア、アマゾンなどに数万人が住んでいて、しかも政府の方針で次第に定住生活に変えられているようだ。

そこには、定住せず遊動しているのは、得体のしれない連中だという想いがあるらしいが、われわれ農耕民の末裔から見れば、秘かに憧れを感じるものだ。

実際に、木村先生もザイール(コンゴ民主共和国)で、BAKAという狩猟採集民のある集団を調査したが、3か月で16か所を移動し、150キロもの距離を移動したそうだ。

彼らの移動の理由は簡単で、食物がなくなるからだが、中には格別の理由もなく移動することもあるとのこと。

そして、彼らは他の家族との頻繁な離合集散を繰り返すそうだ。ケンカやいざこざはかなりあり、すると彼らはすぐに分かれてしまい、そして数か月後にまた再会したりするそうだ。

要は、気が合わなくなれば別れればよいという、定住民とは全く別の価値観で生きているのである。

それゆえに、彼らには呪いのようなものはないが、定住したアフリカの元狩猟採集民では、「呪い」がしばしば見られるとのことである。

それは、土地に定住し、濃密な人間関係が生まれ、食物の収穫量などで、階層化が生まれた農耕社会では、「呪い」、またその逆の「祈り」などができてくるのだ。その辺から宗教も生まれてくるのだろう。

いずれにしても、このノマド、非定住民という考え方は、非常に興味深い。

レコードや本、雑誌などのコレクターの心理の奥底には、そうしたノマド的な精神があるのかもしれないと思う。

私自身は、コレクターではなく、コレクターの方々の収穫をほんの少し利用させていただく人間だと思っているのです。

コレクターの先生方、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

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