舛添要一が都知事を辞職したが、これは非常に変な辞職だと思う。ともかく法違反はほとんどないのに政治家が辞めたのは非常に珍しいと思う。
その点では、甘利明の方がはるかに悪質で、即辞職すべきものである。
都知事は、これで石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一と3人続いて任期中の辞職になったが、その根源は石原慎太郎にある。
この3人は、共通する点があり、それは自己中心主義で、他人とは協調しないことである。
その意味では、大統領である知事には相応しい資質だともいえる。
石原慎太郎は、中川一郎が自殺した時、青嵐会を委譲されたが、その後議員は誰も付いて来なくて青嵐会はなくなってしまった。
映画『危険な英雄』で監督をした堀川弘通さんによれば、「彼は異常に臆病で慎重な人間であることに驚いた」と書いているが、本当だろうと思う。
彼の戦略は例の「後出しジャンケン」だが、それはこうした臆病な性格から来たものである。それは、彼の父石原潔が山下汽船の重役だったが、突然死んでしまい、家が没落したことが原因だと思う。
因みに、山下汽船で石原慎太郎の父親がやっていたのは、樺太での木材の切り出しと輸送である。
日本郵船のような外国客船船長のようなものではなく、『蟹工船』の親方のような人であり、慎太郎が時としてやくざのような口を利くのは、このヤクザのような父親の遺伝だともいえるだろう。
彼が唯一「後出しジャンケン」をせずに行動したのは、2012年の衆議院選挙の時で、このときは自民党が大勝するとは思っていなかったので、石原慎太郎の太陽の党と自民との連立になると予想して、都知事を辞めたのである。
もし、自民と太陽の党が勝てば、安倍晋三に「お前は一度やっているので、俺にやらせろ」と言え、首相になる可能性があった。
だが、自民党が大勝ちしたので、太陽の党は不要になり、連立は公明党になり、総理大臣になれなかった。
非常に残念なことであった。
猪瀬直樹も、一匹狼の威張り屋で、なぜ石原慎太郎が副知事にしたのかはよくわからないが、自分は楽をしたいので、偉い人間には忠実な犬的な猪瀬を選んだのかもしれない。
舛添要一は、3人の中では一番ましな人間だと思えたが、金銭感覚の「セコサ」には驚いてしまう。
いずれにしても異常に自己中心主的な者が都知事になったのは、石原慎太郎が最初だが、それでも3期もできたのは、逆に言えば都知事など誰でもできる、暇な職務だといえるだろう。
その点では市町村長とは大きく異なるものである。
もともと、県は明治時代に、国が市町村に諸命令等を伝えるのに、直接やっていたから大変なので置いたもので、情報通信手段が発達した今日では無用の存在なのです。
その意味では、私は道州制に賛成です。
コメント
初めまして。
舛添が批判されるのは、知事の権限の中で、税金を財源として、私用していたからでしょう。甘利は、税金ではなく、企業からの政治献金なので、批判されにくいのだと思います。
共産党は、政党助成金を使っていない事に矜持を持っているようですが、そうした、企業献金は、時限爆弾のようなもので、甘利の事件では、罠の臭いがぷんぷんします。甘かったといえばそれまでですが、政党助成金も税金を財源としているのだから、企業献金を余りに異常視する事に、無理を感じています。
甘利明が汚職でなければ
甘利明が「あっせん利得処罰罪」で処罰されないようでは、世の中に処罰罪は存在しません。不起訴は、検察の安倍政権への弱腰そのものです。
罠という人もいますが、映画『妹』での吉田日出子の台詞じゃないが、「喜んで自分から甘い罠に落ち込んだのね」ということで、罪は罪です。
アメリカには囮捜査がありますね。
企業献金は、金で政治が左右されないためのもので、民主主義社会では当然のことです。
同じ金絡みで
血税で腹立つなら8年前に高円宮の長女がエジンバラで夜な夜な血税を男遊びに注ぎ込んでいた、そっちの方が腹立つわ
『危険な英雄』と書きましたが、『日蝕の夏』の間違いでした。『危険な英雄』は、石原慎太郎に相応しい形容ですが、この作品の監督は鈴木英夫さんでした。