エノケンの『ちゃっきり金太』の監督が山本嘉次郎である。
この人は、昭和30年代、日本で最も有名な映画監督だった。テレビの人気番組『私の秘密』のレギュラー回答者で、大変な物知りだったからである。
確かに、ヤクザやごろつきの多かった昔の映画界では、大変なインテリであり、物が見える人だったろう。
日活、PCL,東宝と遍歴したが、特にPCLと東宝では中心の監督として大作から文芸物、そして喜劇と多彩な作品を撮っている。
さらに、門下生から黒澤明、谷口千吉、本田猪四郎らが出ているのも、教育者としても立派なものだろう。
ただし、悪く言えば「機会主義者」で、戦時中は時代に迎合し戦意高揚の大作『ハワイマレー沖海戦』や『加藤隼戦闘隊』を撮っている。
戦後の東宝争議では、戦時中への反省からか中立というよりも組合に近い立場に立ち、争議後も組合、会社側どちらにも属さず映画芸術協会を作り、黒澤らと各社で制作する。また、彼の奥さんは、戦後社会党から世田谷区の区議会議員を長く務めていた。この辺は、戦時中への贖罪意識だろう。
晩年は、痴呆気味だったとも言われているが、71歳で普通に死んでいるのだから、破滅型の多かった昔の映画監督では、まともで常識的な一生だったろう。
彼の食通と物知りは大変有名で、何か話題が出ると必ず、「それは実は、なになにで・・・」と講釈したそうだ。
あるとき、群馬県に撮影に行き、例によって「群馬はね・・・」と始まった。群馬出身の小林圭樹が黙って聞いていると、その講釈のほとんどは間違いだったそうだ。
大変な食通で、私が今でも憶えているのは、「湯豆腐で豆腐を食べる時の講釈」である。
豆腐が熱くなり鍋のそこから浮いてきた、まさにその時に掬って食べないといけないのだそうだ。底にいるときは早すぎ、浮いてしまったら煮えすぎなのだそうだ。
確か、ラジオの番組で聞いたと思うが、湯豆腐を食べる度に思い出すが、そんな良いタイミングで食べられるものだろうか。