1970年の11月25日は、三島由紀夫の事件が起きた日である。
もう47年も過ぎたのかと思う。
47年前のこの日、私は大学4年目で、かつて所属した学生劇団の早稲田大学劇団演劇研究会の公演を見に行っていた。
演目は、三好十郎作の『廃墟』で、演出は数年前に亡くなった青木健君だった。
この劇は、戦後すぐの時期の話で、当時の日本の世相、混乱した時代でいかに生きていくべきかを議論する芝居である。空襲で半ば廃墟になった元は大きな屋敷の中で、様々な世代の人間が議論を展開する。
その中で、若い男が、当時行われていた東京裁判に触れ、
「今、市ヶ谷の・・・」と言ったところで絶句してしまい、数秒の間次の台詞が出なかった。
それは夕方に始まった公演だったので、すでに皆三島由紀夫の事件を知っており、彼も絶句してしまったのである。
数秒の間は、非常に長く感じられたが、多分3秒くらいだったと思う。
もちろん、その後芝居は無事に進行し、劇は何もなく終了した。
その後、私たちは一緒に見ていた連中とどこかに行ったはずだが、記憶はまったくない。
多分、当時私は酒をほとんど飲まなかったので、どこかの喫茶店でいろいろと話したはずだが。
2年後、浅間山荘事件と連合赤軍の連中の信じがたい愚行が明らかになる。
この二つの事件は、1960年代の過激派の反体制運動の興隆によって起きた事件だったと私は思う。