先日の「宮川一夫は語る」で、淀川長治が出てきたが、彼を一度だけ見たことがある。
港湾局にいた頃なので、たぶん1970年代だと思う。根岸線の横浜駅で多くの人が乗り降りすると残りに、小さなお爺さんがいて、淀川長治だった。
テレビで見るそのままの姿だったのには驚いたが、鶴見で降りて行った。
横浜から乗ってきたということは、当時あった横浜放送映画専門学院に教えに来た帰りだったのかもしれない。淀川さんの授業は、生徒だった大高正大によれば非常にまじめで厳しいもので、映画ではなくむしろ歌舞伎などの話が多かったそうだ。
また、元横浜映画祭の実行委員長の鈴村たけしさんによれば、淀川さんは、各地で「映画の友の会」をやっていて、横浜にもあり、鈴村さんは会員だったそうだが、聞くと淀川さんについての感想は、大高と同様だったらしい。
いずれにしても、彼のように無邪気に映画への愛を語る人間は今はなかなか見ないが、やはり時代が進化したせいなのだろうか。
「映画の友」も、廃刊になって久しい。
私は高校時代から「スイング・ジャーナル」を買っていたが、大学に入ってやめた。音楽評論家は、業界の方を向いて記事を書いていて、読者の方を見て書いている批評家はいないと分かったからである。
その意味では、淀川さんは、映画会社の利益は考慮しつつ、読者の方を見て物を言っていた人だと思う。
「宮川一夫は語る」の中で、「私はテレビで嘘ばかり言ってきました、この映画は素晴らしいとね、嘘ばかりでした」と正直に言っていた。