この映画は、実は約30年前に、このフィルムセンターの東映特集で見ているのだが、その時はあまり意味が良く分からなかった。
今回見て、脚本の沢村勉や監督の佐伯清らの心情が多少は理解できるようになった。
原作は、壇一雄の小説で、実在の人物で、満州の馬賊で有名だった伊達順之助をほぼ忠実にモデルにしているらしい。
男爵家の三男坊の憐之助(東千代助)は、純情と言えば純真で、細かいことや規則等が嫌いで、普通の生活ができず、家から追われて満州に行く。
満州の方が広くて、自分を生かせると思い込んでいるのだが、こういう人間は実に救い難い。
ドストエフスキーの『白痴』のような純粋な魂の持主のようでもあるが、ほとんど何も考えていないように見える点では、宮本武蔵的でもある。
彼には、親戚の美人の女性三条美紀がいて、彼女とは近づいたり、離れたりするところも『宮本武蔵』に良く似ている。
伊達は、昭和に入ると満州で暗躍し、張作霖爆殺事件等に関わるらしいが、この辺は反張作霖派のスパイ南原宏次らも出てきてアクション映画としては面白い。
そして、満州国ができると、伊達は満州と朝鮮の国境地帯の満州軍の司令官に赴任する。
そこには、彼の幼少時からの教育係の宇佐美淳が、王道楽土、五族協和を夢見て、屯田兵のような生活を兵隊たちと暮らしている。
彼は言う。
「朝鮮匪賊の金日成も、腹を割って話せば同じ人間なのでわかるじゃろう」
こういう楽天主義というか、身勝手な思い込みが、「アジアは一つ」等のインチキなスローガンを作り、東アジアへ進出したのである。
沢村は、多分言いたいのだろう。
日本は、アジアでいろいろ問題を起こした。でもそれは、好戦的な軍人の神田隆のような悪い軍人たちであり、日本と日本人は悪くないと。
最後、宇佐美らは金日成らのゲリラに殺され、軍隊ににらまれた東千代助は、死を覚悟して治安が最悪の山東省に向かうのである。
辺境の地まで追いかけて来た三条美紀と、その弟の高倉健に別れを告げて。
峠からは、金日成のゲリラ部隊も、伊達の勇敢さを讃えていたのである。
沢村勉は、評論家からシナリオライターになり、戦時中は熊谷久虎の『上海陸戦隊』や『指導物語』のほか、記録映画の『マレー戦記』でも、反欧米の排外主義を煽った人間である。
戦後は、ほとんど無意味な喜劇の脚本を書いていたようだが、この作品あたりが数少ない自己の心情を吐露した映画のように思える。
佐伯清は、伊丹万作の弟子で、橋本忍を世に出し、さらに東映のやくざ映画のヒットシリーズ『昭和残侠伝』を作りだした監督で、抒情的な作風だった。