日大商学部の元は航空教育資料製作所であるのだから

東京新聞の夕刊に日大商学部の学生が、世田谷区の祖師谷大蔵周辺の「ウルトラマン商店街」を支援することが出ていた。

大変結構なことだが、この日大商学部の敷地は元は新東宝撮影所だった。

                    

さらに遡れば、戦前、戦中は、ここは東宝の秘密スタジオ・合資会社航空教育資料製作所であり、そこでは『水平爆撃法』などの、明らかに真珠湾攻撃等のシュミレーション映画が作られていた。

51本もの作品が作られていて、その指導者は、言うまでもなく円谷英二だった。

1941年12月8日の真珠湾攻撃の翌日、映画製作に係わっていた、うしおそうじさんは、上司から「映画が海軍から非常に役に立ったぞ!」との電話を受けたそうだ。

そして、翌年円谷英二たちは、『ハワイ・マレー沖海戦』を作り、絶賛されたが、実は順序は逆だったのである。

戦後の『ゴジラ』以下、「ウルトラマン」に至る円谷特撮は、このスタジオでの研鑽が基になっているのである。

この辺のことは、11月末を目標に本を書いたので、出たときには、ぜひお読みいただきたい。

全貌が分かるはずである。

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