校歌で同窓生と分かった


約15年前に富士山の麓にあった国際貿易研修センター(今は富士宮ではなく、湘南国際村にある)で英語の研修を受けたことがある。
3ヶ月間の長期宿泊研修で、民間企業の若い人と約30人で英語の特訓を受けていたが、勿論週末は遊びで、同じ寮の連中と静岡周辺で遊んだ。
あるとき、車で走っていると、富士山が大きく見えたので、「私の高校の校歌に『冨士見晴るかす』と言うのがあるなあ・・・」と言うと、同乗していた鉱山会社の若い人が「『・・・窓晴れて』でしょう、じゃ小山台高校では」と聞かれた。
彼は小山台高校の後輩なのだった。

小山台の後輩では、若手音楽評論家の高橋健太郎君もそうで、昔ミュージック・マガジンの編集者を交えて渋谷で話していたとき、分かって驚いた。
小山台は、東京工業大学への進学者が1970年代は全国1位だったように理科系の硬い人が多く、音楽、映画、演劇と言った業界に関係する人は少ないのである。

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