神降ろしとしてのロック

小沢昭一さんが、ロックの歌唱は、一種の神降ろしではないか、と書いたことがある。
確かに、ロックコンサートは、憑依の場、神降ろしの場であろう。
忌野清志郎などは、まさに神降ろしだろう。

だが、歴史的に見れば、中世の宗教家一遍なども、絵図を見ると完全にロック集会である。
全員がお経を唱えながらロックしている。
だからこそ、権力には恐れられ、忌み嫌われたのだろう。
そう考えれば、万葉集にでてくる、「歌垣」もロック・コンサートだったのではないか、と思う。
ロックというより、まさにフォーク集会と言うべきかも知れないが。

その意味では、日本は随分と音楽の歴史のある国と言うことになる。
何しろ、天皇が歌を集め「歌会始」を毎年開催している国なのだから。

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