自己像の分裂 福田淳一と山口達也

山口達也が、女子高生への強制ワイセツで書類送検された。驚くのは、その酒量である。病院から退院した翌日の朝から飲み始め焼酎を1本飲み、そして女子高生をよんだという。

私も酒は飲むが、焼酎を1本飲んだらまず死ぬ。山口は、よほど酒に強いのだろうが、完全なアルコール依存症である。

おそらく、よばれた女子高生は、酩酊状態の山口に驚愕、恐怖してトイレに逃げ込んだのだろう。憧れのスターの部屋に行ったら、そこにいたのは中年の酔っぱらいだったのだから。

ロック・スターで、酒や薬物などの依存で死んだ者は多い。

一昨日見た映画『スローガン』のジェーン・バーキンの『思い出のロックンローラー』でも、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ、エルビスが歌われていた。

多くは、自己と虚像のスター像との分裂の中で苦しんだ結果の死だった。山口達也はどうだったのだろうか。

『オールド・ファッション・ラブ・ソング』、『雨の日と日曜日』などの名作を書いた歌手のポール・ウィリアムスも、長年アルコール依存症で、1970年代に来日して武道館でコンサートをやったが、当時はのことはなにも憶えていないそうだ。

一方、そうした自分が演じているスター像と本当の自己との分裂を簡単に超えているスターも数多くいる。沢田研二は、ローリング・ストーンズ等のロックが大好きだったが、平気でアイドルグループのタイガーズをやっていた。演歌の藤あや子は、本当はボン・ジョヴィのファンだそうだが、美人演歌歌手を演じている。

要は、精神の強さの問題である。

さて、財務省から処分されることになった福田淳一も、高級官僚としての姿にどこかで違和感を持っていた人間ではないかと私は思う。

仄聞すれば彼の妻は、元某省の次官の娘とのこと。そんな偉い方の家庭で、「手を縛る」ような行為は到底できなかったと想像する。彼は、職場でも家庭でも、自己を解放することはできなかったのだと私は思う。

その結果が、女性へのセク・ハラなのではないか。

私のような能天気な者でも、仕事で鬱屈したことはあるが、そんな時は、映画館に行き、映画に没入することにしている。エンドマークの頃には、もうすべて忘れている。

映画、演劇、コンサート等に行くのは、そうした効用もあるのだから。

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