清張には松竹がよく似合う

このところ、寒いので家にいて、テレビのサスペンスものを見ているが、特番で松本清張原作がある。
すると、多くの脚本、監督が元松竹の人なのだ。

映画でも、松本清張原作で最大のヒット作は、松竹大船作品で、野村芳太郎監督の『砂の器』だろう。
実は、私はこのヒット作をそう良い映画とは思っていないが、原作よりははるかに良いことは明らかである。
原作は、電子音で人を殺すなど信じがたい話だが、脚本の橋本忍と野村芳太郎監督は、そうしたところを全部切り捨てて成功している。
東宝にも『黒い画集』シリーズ、東映にも『点と線』、大映にも『共犯者』などがあるが、松竹の映画化が一番成功しているように思える。
どうしてだろうか。

それは、表現と思想において、両者は共通するところがあったからだ。
両者も、表現はリアリズムで、前衛的な表現はない。また、思想的には、松本清張は、かつて選挙で日本共産党を支持していたことがあり、松竹映画の指導者の城戸四郎は、フェビアンニストで、社会改良主義者だった。
彼は、松竹という大企業の社長でありながら、海外に行くときも、決してファーストクラスには乗らず、随行者は非常に苦労したとのことだ。
まあ、そこには、「われわれは偉い人間じゃない」という江戸っ子の矜恃だったと私は思うのだが。

いずれにして、こうしたことで、松本清張作品は、松竹が一番ふさわしいと思うのだ。

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